マーケティング戦略なきマーケティング部門ではいけない
――マーケティング責任者としての今のご自身の役割から聞かせていただけますか。
柿野:マーケティング責任者はマーケティングを進める上で、マーケティング部門の仕事とマーケティング戦略の違いを認識することが、まず大事だと思います。
コンカーの場合、「マーケティング部門の仕事」はデジタルマーケティング、マーケティング基盤構築、パブリック・リレーションズ(PR)、チャネル、キャンペーン、コンテンツなどに分解され、製品・サービス企画や事業開発の機能を持っていません。
一般的に提供する商材や市場の成熟度によってマーケティング部門の位置付けは異なりますが、「マーケティング戦略」が目指すところはどの会社も同じだと思います。中長期の視点に立ち、顧客価値を最大化し、強力なブランドを作ること。これがすべての企業が目指すべきマーケティング目標であり、企業の存在意義です。
ですから、マーケティング戦略は会社全体の経営ゴトであり、マーケティング部門だけで考えて、進めるものではありません。では、CMOは何をするのか。企業向けビジネスを展開するCMOの場合、業務範囲の捉え方が個人でも異なるので、人によってアプローチの手法が異なると思います。私の場合、社会の要望や技術トレンドなど、外部視点から「自社製品・サービスを売りやすい環境を整える」ことでマーケティング戦略に貢献したいと思っています。
自社の経営資源から考える経営戦略は、目標設定がしやすい反面、戦略通りに実践できるかがポイントになると思います。一方、マーケティング戦略は需要者サイド、つまり社内にない視点から考える必要があり、マーケ人材がいない場合、目標設定自体の難易度が上がります。
マーケティング戦略のない企業の多くは視点が内向きで、市場との対話というより、作ったものをどう売るか、どう捌くか、という議論が中心となり、顧客価値の最大化をどう面で捉え、市場を創り、強力なブランドに育ててあげるか、といった中長期の目標から離れていきます。
作れば売れる時代なら、マーケティング戦略なしに成り立ちますが、あらゆる市場がコモディティ化し、選択肢が多い今のような状況では、中長期でビジネスとして成り立ちません。
日本は戦後、物資不足の中、朝鮮戦争が勃発、米国の供給基地となることで、大量生産、大量消費、作れば売れるという時代が長く続き、マーケティング戦略は置き去りにされてきました。市場と自社の製品・サービスをバランスさせるマーケティングという考え方が根付く前に、経済大国となった成功体験そのままに、過去の蓄積も消耗し続け、マーケティング戦略に答えを見出そうとする企業が増えてきている、ということだと思います。
文脈を創る、新市場を生み出す、エコシステムに参加する
――マーケティング戦略の実践についてコンカーを例に教えてください。
柿野:マーケティング戦略へのマーケティング部門の貢献は市場ニーズに合う「文脈(ストーリー)創り」とも言い換えられるかもしれません。
出張・経費管理クラウドサービスを日本で提供を始めた当初は、経費精算をスマホとクラウドで行うという業務スタイル自体がなく、当然、私たちの市場自体も存在しませんでした。
コンカーを導入して最もメリットを受ける部門は経理財務部門です。ただ、財務戦略の責任者であるCFOの業務範囲は広く、様々な経営課題の中から、短期で最も効果的なものから取り組んでいくため、日常業務として既に回っている、経費精算、経費管理領域の優先度はかなり低い状態で、非常に苦労したことを覚えています。
一般的に「課題」というものは、個人によって捉え方や理解度にばらつきがあるため、次のように客観的な数字で課題の大きさや深刻度を共有するとわかりやすくなります。
「日本のサラリーマンは経費精算に生涯52日を費やしている、さらに営業マンの場合は100日以上」「経費精算で失われる国富は総額年間約1兆円」「大手金融サービスで発生する領収書の量は段ボールで年間6000箱、保管コストは5億円超」「領収書や請求書は7年から10年間の保管義務、原因は時代に合わない法制度」「財政破綻したギリシャ、でも日本企業のホワイトカラーの生産性はそれより低い」
いかがですか? 日本のサラリーマンが領収書をサイフにパンパンになるまで貯めて、領収書をペタペタのり付けし、路線検索で料金を調べながら、エクセルに再入力、ハンコをもらうために上司に説明、しかも、経費精算するために会社の経費を使って外出先から帰社をする。労働人口が減り、採用もしづらく、介護も育児も必要、時短と働き方改革も叫ばれる中、それでも経費精算で生産性を犠牲にしていいのか、という問題提起が数字の力でわかりやすく伝わったのではないでしょうか。
課題の大きさと深刻度を数字で示す、市場を対比する、効果を明示する。そのようなストーリーを届けることで、社会的な共感と合意形成から市場を創り上げるのも、有効な手段だと思います。
――日本の経費精算業務における潜在的な課題を白日のもとにして、生産性の改善というテーマに関連付けて文脈創りを行いながら、ステークホルダーと合意形成しつつ、規制緩和を実現し、市場創造に成功したわけですね。市場創造を効率的に行うために有効な手段には他にどのようなものがあるのでしょうか。
柿野:売り上げのためにお客様を囲い込むような過度なサービス提供や製品開発など、行き過ぎた自前主義を避けて、カスタマージャーニーをベースに様々なサービスと連携し、大きなエコシステムに参加すると巨大市場が目の前に現れるはずです。
ソフトウェア産業では、過度な機能開発はユーザビリティーの低下につながり、お客様満足度が下がり解約率が高まる傾向にあります。
わかりやすく言えば、コンカーの主力サービスであるConcur Expense(コンカー・エクスペンス)は経費精算クラウドですが、経費が発生するタクシー配車や接待予約などの機能も加えると便利になりそうです。ただ、機能追加するとアプリやシステムの複雑性が増し、予期しない不具合が発生し、経費精算で満足していたお客様に悪影響を与えます。
また、ビジネス的にも、先行して既存サービスがまったく異なったビジネスモデルで展開され、支持を受けているため、きっと成功しないでしょう。賢い選択肢はそれら既存サービスとアプリ連携して、「いいとこどり」をする戦略です。
たとえば、Suicaで改札口にタッチするだけでConcur Expenseに運賃情報が飛んでくるとか、JapanTaxiやUberのような配車アプリを使って、タクシーに乗り降りするだけで、Concur Expenseに経費データが送られてくるといった体験を作ればよいのです。こうしたサービス連携は、使いやすさと機能性を両立させます。
サービス連携の前提となる、外部サービスとつなげられるという技術的な先進性はエコシステム形成と拡大にポジティブに働きます。ソフトウェア産業は激しい競合状態のもと買収合戦に明け暮れていましたが、お客様を中心とした究極のCXを実現するために、緩やかなサービス連携をエコシステムで対応する時代へ移行しています。