人材への投資不足が「マーケティングの貧困」を招く
――日本の経営者も大きく考え方を変えなければなりませんが、同時に自社で育てスキルを積んだ人材が他社へ行ってしまうリスクも許容すべきということでしょうか。
庭山:その通りです。経営者は人材育成に投資してプロが集まりたくなる環境を整えなければ、優秀な人からどんどん転職してしまいます。すると、他社では通用しない人たちが、しがみつく魅力のない会社になってしまいます。
日本のBtoBビジネスにマーケティングオートメーション(以下、MA)ツールが導入されたのは2014年のことですね。それから国産も含めて約5,000社がMAツールを導入してきました。しかしうまく活用できているのはそのうち1%もありません。なぜなら、企業が人材に投資していないから、最も重要なマーケティング活動の全体設計ができる人材が育たないんです。

庭山:だからKPIを見誤るし、間違った指標を追ってしまう。たとえばインサイドセールスなら、「とにかくアポが取れればいい」と、挨拶程度の精度の低いアポイントを大量に獲得して、KPIを達成したと満足してしまう。これから先、経営者がマーケティング人材の育成に積極的に投資しなければ、「マーケティングの貧困」に陥るBtoB企業が続出するでしょう。
――日々、教鞭を執ったり、ビジネスの最前線で仕事をする中で、アカデミックな知識とビジネスで培う経験、それぞれどのように身につけていけば良いとお考えでしょうか?
庭山:知識と経験、両方が必要です。経験は現場で身に付けることができるので、知識に関してはまずは本を読むべきです。特に日本ではSEOなどの個別手法からマーケティングに入る方も多いですが、できればマーケティングの古典から読んで欲しいと思います。
特にフィリップ・コトラー、ブランド論の第一人者デービッド・アーカー、元アップルのマーケティングコンサルタント、レジス・マッケンナの本はぜひ読んで欲しい。こうした知識は、ビジネス上の経験を裏付ける大事な基礎になります。
田中:知識を得ることも大切ですが、誤った知識を正すことも重要です。BtoCにおける話ですが、日本では長年、「AIDMAが従来重要と言われてきたが、これからの時代はAISASだ」と言われてきました。しかしアカデミックの世界では「消費者はAIDMAやAISASの順序で購買決定しない」と否定されています。いまだにこの旧来の理論を応用している実務家が後を絶ちません。
庭山:BtoBでいうなら「カスタマージャーニー」がその最たるものです。もちろん、ジャーニーマップのつくり方を学ぶことは重要ですが、リアルなビジネスでは、カスタマーはマップ通りにジャーニーしてくれませんよ(笑)。ニーズは突然発生することが多く、事業者選定の会議で決まればその時点でおしまいです。
――ジャーニーマップを考えるプロセス自体は重要なことですよね。
庭山:そうです。知識としては知っておくべきだし、ジャーニーマップを設計する訓練も必要です。しかし知識先行になりすぎて、ビジネスの実態を無視するのもいかがなものかと思います。

田中:プランニングスキルとして知っておくべきことと、実際にビジネスで起きることは違うということを理解しておいたほうがいいと思いますね。
――正しい知識を習得する一方で、経験はどのように積んでいくべきですか。
庭山:質と量、その両方が充実した経験をすることがプロフェッショナルのスキルを養う上で重要だと思います。どんなに素晴らしい仕事でも、一度しか経験していないのならスキルとして再現性のあるものにはなりません。一方、学びや成長のないルーティーンワークをいくらたくさん経験したところで、せっかく培ったスキルは落ちてしまいます。
田中:アカデミックの領域でも、知識と経験はどちらも大切だと言われています。以前コロンビアビジネススクールで、ノーベル経済学者ジョセフ・E・スティグリッツの講義を受けた時、その極めて実践的な内容にとても驚いた経験があります。その時は「韓国の金融担当大臣と世界銀行の担当者に分かれて、韓国の経済危機対策についてディベートせよ」という課題が出たのです。これは世界銀行で副総裁を経験したスティグリッツでなければできない授業だと思います。
私自身もビジネススクールで教える際にはスティグリッツの手法にならい、新しいブランドをつくるシミュレーションを行うなど「フィールドラーニング」というグループワークを行うようにしています。