意味や価値は「差異性」から生まれる
エジソンのエピソードは、こう続く。
「夜は、なぜ、夜なのか?」。夜があるから、光の「潜在需要」が生まれる。地球が回って、太陽の光が当たらない場所ができる。だから、夜になる。「だったら、地球を回せばいい。どうやってデータの地球を回すのか?」と。
つまり、データに「光が当たる箇所」と「当たらない箇所」を作るにはどうすればいいのか? データの昼と夜を作るのだ、と。昼と夜、明と暗、陰と陽、善と悪、上と下、左と右、東と西、南と北など。これは、二元論だ。二元論的価値観がない世界、つまり、すべてがワンネスで一つになってしまうと識別ができない世界になる。それでは、意味や価値が生まれる余地はない。
意味や価値は、差異性とその関係性から生まれる。その差異性と関係性を、AIに学習させるのだ。
この「データの地球の回し方」(潜在需要創出)と「データ・情報のパッケージ化」(商品化)、および、そのリスクについて、ネット業界は延々と議論してきた。
たとえば、メディア論で有名なマーシャル・マクルーハンは1970年、共著『From Cliche to Archetype』のなかで、情報化時代には「data banks」によって、我々の存在は危うくなると、既に予言している。
「As information itself becomes the largest business in the world, data banks know more about individual people than the people do themselves. The more the data banks record about each one of us, the less we exist.」
【意訳】「情報そのものが世界最大の産業になるとき、データバンクは個人について、本人以上に多くを知るようになる。データバンクが個人情報を集めるほど、我々の存在は危うくなる」(p13『From Cliche to Archetype』)
2019年、日本では「情報銀行事業者認定」が始まった。だが、既に約50年前の1970年に、マクルーハンは「data banks」の可能性とリスクを指摘していた。つまり、データが集まればビジネスチャンスがある。だが、個人データが中央集権的に管理されれば、監視資本主義になる。
データをビジネスに変えたGoogle
私は1990年代後半にシリコンバレーのネット企業で就職したのだが、当時既に、サーバーに集まってくる大量のデータ(ログデータと言っていた)を、「いかにビジネスに変えていくか?」と、アメリカ人たちは議論していた。
そこから、検索ログに目を付けた検索連動型広告、行動履歴を活用した行動ターゲティング、属性データを応用したオーディエンスターゲティングなどが、生まれてきた訳だ。
ちなみに、情報をパッケージにし、世界で最も売れている商品は、「聖書」だと言われている。神の言葉(情報)を印刷して「聖書」というパッケージに仕立てた。本としてパッケージ化されなければ、世界中でこれだけ売れることはない。
これは、「聖書」に限らず、CDやDVD、あるいは、新聞やテレビなども、基本的には、データや情報をパッケージ化したものだ。本もメディア、CDやDVDもメディア、新聞やテレビもメディアと呼ばれる。ここに共通するのは、意味や価値を運ぶパッケージという点だ。
1990年代のシリコンバレーでは既に、「ログデータをビジネスにできるか?」つまり、「データの地球の回し方」(潜在需要創出)と「データ・情報のパッケージ化」(商品化)を、真剣に議論していた。その中で、圧倒的にそれをやってのけたのが、Googleだった。
「PageRank」というアルゴリズムで、検索エンジンに革命を起こした。そのアルゴリズムが、Google流の「データの地球の回し方」だった。Google以前(つまり、1998年以前)の検索エンジンは、関連性の低い検索結果が表示され、調べものなどでは、役に立たなかった。
だが、それを、役立つ検索エンジンに変えたのがGoogleだ。まるで、エジソンが、発光時間1分の白熱電球を「実用に耐えうる品」に改良したように。「PageRank」によって、役立つ情報(関連性のある情報)とそうじゃない情報を識別した。つまり、どの情報に光を当てて、どの情報に光を当てないのか。Googleはデータの光と影を作ったのだ。
この「PageRank」が「データの地球の回し方」(潜在需要創出)として機能し、その基盤の上に、検索連動型広告という「データ・情報のパッケージ化」(商品化)が実現する。地球が回って夜を作り(潜在需要創出)、エジソンが光をパッケージに仕立てたように(商品化)。