カスタマージャーニーの全体像が見えていなかった
花王のDX推進センターは2021年に設立された。課されたミッションは「花王をユーザーエクスペリエンスを中心としたUX創造企業にすること」つまり、同センターが旗振り役となり、花王ならではの強みや先端技術を掛け合わせて顧客にユニークな体験を提供するための取り組みを進めるわけだ。マネジャーの稲葉里実氏は次のように語る。
「我々は花王の事業プロセスをデータドリブンにするため、データの収集から分析、ダッシュボードを使った可視化までを実施。その過程で得られた気づきを基に、ブランド戦略の提案や商品開発のためのフィードバック、あるいはプロモーション施策の立案などを行っています」(稲葉氏)
データを収集するにあたり、どのような課題があったのか。「購買データやSNS、口コミなどのデータは収集・分析していたものの、購買前の興味・検討部分でデータがなく、カスタマージャーニーの全体像が見えていなかった点に大きな課題がありました」と稲葉氏は語る。
稲葉氏によると、花王ではこれまでデータ分析業務において「自社ECの改善」や「顧客理解」を目的とした“点”でのアプローチを基本としていた。 しかし、変化の激しい時代にカスタマージャーニー全体を把握できていない場合、アジャイルに生活者や市場を理解しスピーディーにアクションへ落とし込むことは難しい。そこで顧客の行動を“線”で理解する必要があると考え、ヴァリューズの「Dockpit」と「story bank」を活用するに至ったという。
250万人規模のWeb行動データで顧客の思考の流れを把握
Dockpitは、Web行動ログデータを基に3C(自社・競合・市場)分析ができるSaaS型のサービスだ。直感的なダッシュボード操作を通じ、市場規模の把握や業界シェアの把握などを可能にする。一方のstory bankは、消費者のWeb行動プロセスを可視化するツール。 閲覧サイトや検索キーワードを一覧で表示する機能などにより、消費トレンドやインサイトの把握をサポートする。
これらのサービスの根幹にあるのが、ヴァリューズの保有する250万人規模の消費者のWeb行動データだ。モニター一人ひとりから許諾を得た上で、彼らが何のキーワードで流入し、どのようなWebサイトに訪問し、どのくらい滞在していたかを時系列で蓄積している。
花王では、顧客の生活における価値観や各商品・ブランドの集客構造を把握する目的でstory bankとDockpit を活用。花王のマーケティングを支援するヴァリューズの伊東氏は、活用の背景を次のように補足する。
「シャンプー一つとっても、以前は『テレビCMを見て、店舗に行って買う』というカスタマージャーニーを想像していましたが、今やシャンプーも高価格帯の商品が市場に出る時代。購入前に細かく情報を調べて買う人もいらっしゃるはずです。花王さんにはそうした多様な顧客の、購買前後も含めた思考の流れを把握する目的で、Dockpitとstory bankを活用いただいています」(伊東氏)
ユーザーの興味・関心や属性ごとの違いを精緻に把握
稲葉氏は、story bankを使って実際に行った分析の内容を紹介。一つのキーワードを軸に、類似したワードで検索した人のグルーピングが可能な「クラスタ分析」機能を活用したという。
「この機能により、グループごとの属性がわかります。どのような生活者がいて、各ターゲットにどんな施策を展開すればよいのか、戦略と戦術を両軸で考察できる点が素晴らしいと思いました」(稲葉氏)
また花王ではDockpitを活用し、キーワードの検索ボリュームと検索者の属性を確認したという。具体的には「歯磨き粉」というキーワードを分析した結果「歯磨き粉の機能によって、検索者数の多い年代が異なっていることがわかった」と稲葉氏。伊東氏が実際のデータを使って詳しく解説する。
「『検索ユーザー数推移』のうち『ホワイトニング歯磨き粉』を示す青い線が最も高くボリュームゾーンと言えますが、最近は少し落ち着きつつあることが見てとれます。また『検索者年代』を見ると、若年層がホワイトニングや研磨剤に関心を持つ一方、年代が上がるにつれてフッ素や歯周病への興味・関心が高まっています。こうした結果から、世代ならではの悩みなどがわかるわけです」(伊東氏)
ユーザーの興味・関心が高い項目や属性ごとの違いを、高い解像度で把握できる点にDockpitの特徴がある。花王ではDockpitを通じて得られた分析結果を基に、生活者それぞれのニーズに合わせた商品開発や施策を検討しているとのことだ。
「メンズメイク」検索後の流入サイトからわかる男女の違い
花王ではほかにもDockpitの「検索トレンド機能」を活用し「メンズメイク」のトレンドの実態を把握。メンズメイクに関連したワード検索が顕著に増加したタイミングに注目し「どんな要因で伸びているのかを調べた」と稲葉氏は語る。
伊東氏は「過去に遡って時系列変化を追えるのがヴァリューズのデータの強み」と述べた上で、花王のDockpit活用方法に対し「データの強みを活かした理想的な使い方」と評価する。
Dockpitの特徴は、検索後の流入サイトが把握できる点にもある。花王では「流入ページ分析」機能を活用し「メンズメイク」と検索した後の動きに見られる男女間の違いも捉えた。
分析の結果、男性の多くは「メンズメイク」と検索した後に「初心者向けのバレないベースメイク術」などのサイトへ流入していた一方、女性の多くは「僕がメイクを始めた理由」などのサイトに流入していたという。
「男性が当事者として検索しているのに対し、女性は『なぜ男性がメイクをしているのか』という情報に関心を寄せていることがわかりました」(稲葉氏)
「丁寧な暮らし」の類似ワードから生活者の価値観を可視化
稲葉氏は「類似ワードの検索」機能を活用した事例も紹介。この機能は、特定のキーワードに類似するワードの検索結果をピックアップするものだ。花王では「丁寧な暮らし」をキーワードに設定の上、類似ワードの検索結果を表示。すると「ミニマルライフ」「シンプルな暮らし」など、雑誌の特集などでも見られるキーワードが上位に並ぶ一方「自分を大切にする」というキーワードもトップ10に入った。
この結果を受け、花王では「丁寧な暮らしの背景に『自分を大切にする』という価値観が隠れているのではないか」と推察。伊東氏は「ブランドのメッセージに対する生活者の価値観を、具体的なワードで可視化できる点にDockpitの強みがある」と解説する。
データ分析で気を付けたい三つのポイント
一連のデータ分析を通じて顧客理解を行うにあたり、稲葉氏が気を付けていることを3つ紹介。一つ目は「すべてのデータには条件があり、何かしらのバイアスがある点を忘れない」ということだ。
「様々な取得方法によるバイアスを忘れず、正しくデータを読み解いて生活者の本音に迫るように意識しています」(稲葉氏)
二つ目は「アウトプットを分析手段から考えない」ということ。何を実現するためのデータ分析なのか、見極めることの重要性を次のように語る。
「単にデータを収集・分析すれば何かが見えてくるはず──そう考えがちですが、データの収集・分析業務は非効率に陥りやすいため、仮説を立ててから分析に着手することが重要です」(稲葉氏)
三つ目のポイントは「自分自身が生活者である意識を忘れない」ということだ。日々の生活の中で自分自身が感じる感情や違和感を敏感に捉えながら「データを読み解く視点を磨く必要がある」と稲葉氏。その姿勢が生活者のインサイトを見出し、新しい発想を生み出す力になるのだという。
「単純にビッグデータを分析しても、新しい発想は生まれません。チーム全員で、日常の気づきをデータ分析の視点に取り入れられるよう取り組んでいます」(稲葉氏)
セッションの最後に、稲葉氏は自身が所属するDX戦略推進センターのミッション「花王をユーザーエクスペリエンスを中心としたUX創造企業にすること」に立ち返りつつ、次のようなメッセージを投げかける。
「D(デジタル)とX(トランスフォーメーション)においては『X=変革を起こすこと』の方が圧倒的に大事であると考えています。企業には顧客体験を変革し、生活者のリアルな行動や声からスピーディーに価値を発見することが求められているのではないでしょうか。顧客を中心としたデータドリブンなマーケティングに、今後も努めていきたいと思います」(稲葉氏)