すでに3rd Party Cookieレスの影響は甚大?
MZ:Cookieは広告業界にとっては便利な反面、行き過ぎた使い方でユーザー側から拒否されるようになりました。政府も事態を重く見て、欧米や日本でも法改正が行われましたね。
杉原:そのとおりです。2018年に施行が始まった欧州のGDPR(EU一般データ保護規則)、2020年に施工されたCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)、日本でも2022年に改正個人情報保護法(PIPA)が始まりました。PIPAでは「Cookieそのものは個人情報ではないが、個人識別情報と紐付けた場合は規制対象になる」ということで、Cookieの利用について厳格化されています。
こうした動きに呼応して、プラットフォーマーの自主規制も進みました。いち早く取り組んだのが米アップルで、2017年には自社Webブラウザ「Safari」にトラッキング防止機能である「Intelligent Tracking Prevention(ITP)」を組み込んでいます。
ITPはiOSで動作するWebブラウザの開発エンジンに組み込まれているので、Safariだけでなく、iOS上で動作するGoogle ChromeやFirefoxも同様にITPが動きます。そしてITP自体がどんどん進化し、現在では1st Party Cookieの制限やlocalStrageの制限を強化するなど、非常に厳格化されてきています。
そしてグーグルも世論に押される形で、2019年前後にようやく「3rd Party Cookieを非推奨にします」と重い腰を上げることになりました。そしてユーザーのプライバシーを保護しながら効果の高い広告配信を行う仕組みである「プライバシーサンドボックス」の開発に取り組み、「これが完成した暁には3rd Party Cookieのサポートを段階的に廃止していく」と約束していたのです。これが今回反故にされてしまいました。
ですが、ここで考えてみてほしいことがあります。実は3rd Party Cookieのサポート廃止の影響はすでに非常に大きいものになっているという事実です。
MZ:というと?
杉原:国内のWebブラウザやデバイスのシェアで考えてみましょう。デスクトップでは3rd Party Cookieのサポートを廃止しているWebブラウザはSafariとFirefoxで約10%のシェアとなりますが、モバイルではiOSシェアが69.3%と圧倒的なので、すでにモバイル広告の7割は3rd Party Cookieのトラッキング防止の影響が出ています。つまりターゲティング・リターゲティング・コンバージョン計測ができなくなっているわけです。ここを誤解している方がとても多いんです。

杉原:今はモバイルの方がトラフィックが多い業種も多いので、影響は甚大です。ですがここに関してほとんどは何もしていません。業界の不思議なところですが、決して「グーグルが3rd Party Cookieのサポート廃止を取りやめるから安心だ」というわけではなく、いま現在非常に大きな影響があるiOSへの対応がノーマークになっているんです。個人的には、この状況をなんとか改善したいと思っています。
なぜGoogleはここへ来て3rd Party Cookieサポート廃止を撤回したのか
MZ:これまで3rd Party Cookieの規制が進んできた流れについてご説明いただきましたが、今回グーグルが方針を撤回した経緯について教えてください。
杉原:3rd Party Cookieに代わる手段としてグーグルが取り組んでいたのがプライバシーサンドボックスです。これまでは、広告配信事業者のサーバー上でユーザーの閲覧履歴や属性情報を基に配信する広告を選んでいましたが、プライバシーサンドボックスではユーザーのWebブラウザ内で興味関心を分析して、その結果を広告配信事業者のサーバーに返すという仕組みです。Webブラウザからのデータを取得するために各種APIをDSP/SSP事業者に公開し、実装するように促していました。その進行に伴い、3rd Party Cookieのサポートを段階的に取りやめていくことを発表していたのです。
グーグルは3rd Party Cookieのサポート廃止を表明して以来、その計画を何度も延期してきました。そもそもは2020年に「Chromeでは今後2年以内に3rd Party Cookieのサポートを廃止する」としていたのですが、翌2021年には「2023年後半まで延期」と延期し、そして2022年に「2024年後半までに段階的に廃止します」とさらに延期することを発表しました。今年(2024年)1月からは、Chromeユーザーの1%を対象に3rd Party Cookieを制限していたのですが、2024年4月に3度目に計画延期を発表、そして今回の「廃止の撤回」に至ったのです。
MZ:3回目の延期発表から計画撤回までの間に何が起こったのでしょうか。
杉原:日本の公正取引委員会に当たる英国の競争・市場庁(Competition and Markets Authority:CMA)が“待った”をかけたのです。「CMAがプライバシーサンドボックスについて正しく設計・運用されているものかを審査して了承するまで、3rd Party Cookieのサポート廃止は行ってはいけない」と表明しました。それで4月に3度目の延期が行われたのですが、結局は「廃止の撤回」となったのです。というのも、CMA側はこのプライバシーサンドボックスについて、技術面はもちろん「グーグルに自己優遇があり、責任の所在や持続性についても問題がある」としていたからです。CMAだけでなく、米国のデジタル広告業界団体であるInteractive Advertising Bureau(IAB)もプライバシーサンドボックスの仕様や提供形態を問題視していました。
MZ:何が問題だったのでしょうか。
杉原:Criteoによるプライバシーサンドボックスのテスト結果によると、さんざんな結果でした。まず現在のプライバシーサンドボックスがそのままの状態でリリースされた場合、パブリッシャーの収益は平均60%減少すると予想されました。
そして大きな問題だったのは、この仕組みが完全にグーグル寄りだったことです。プライバシーサンドボックスは、Googleアドマネージャーというパブリッシャー向けのアドサーバーがないと基本的に使えないので、ほかのアドサーバーは完全に排除されてしまいます。結果、グーグルへの依存度が大きくなるわけです。
一方で、たとえば広告が配信されなかったという不具合においては、補償費の支払いなど、責任の所在が明確ではないという点も問題視されました。
持続性についても問題がありました。プライバシーサンドボックスはリリースして終わりではなく、市場に合わせて改善やアップデートが必要になります。今はその審査をCMAが行っているのですが、CMAも永遠に審査をし続けるわけにはいかないので、グーグル内で第三者的なガバナンスを確立して公正性が保てるように開発を続ける必要があります。ところがそうしたガバナンスについてはほとんど考慮されていませんでした。
そして先ほど言ったCriteoのテストでも、収益が大幅に減少することが判明したり、プライバシーサンドボックスによるレイテンシー(遅延時間)の発生が指摘されたり、一言で言えば酷評だったのです。
加えてCMAは、グーグルが持つ1st Partyデータにも制限をかけたいということを示唆していて、議論は完全に膠着状態に陥っていました。そのためグーグルも、4月の段階では「2025年末までに3rd Party Cookieのサポートを廃止する」としていたのですが、業界としては「また延期になるのではないか」という空気が蔓延していたのです。まさか「廃止を取りやめる」とは思っていませんでした。
ですがグーグルの立場になって考えると、いまの状態は「オオカミが来るぞ」と叫んでいるオオカミ少年そのもので、信用は失墜してしまいます。そのため逆転の発想で発表したのが、「3rd Party Cookieは残しますが、ユーザーが選択できる新しい仕組みを入れます」ということだったのだと思います。