ユーザーのいない「UX劇場」とは?
藤井:UXもゲーミフィケーションも、トレンドワードとして一時的に消費されるべきではなく、もっと本質的な概念として正しく理解されるべきです。UXとCX(顧客体験)についても同様で、明確に定義を分けている人は少ないのが現状です。先ほど話した通りUXの元々の定義は広かったのですが、Webの話に矮小化されてしまったため、コンサルティング会社などがWeb以外の全ての顧客体験を指す言葉としてCXという概念を提唱しました。
ゲーミフィケーションも同様に、本当に理解している人が本質を正しく伝えることが重要です。伊藤さんの著書はその役割を持っていると感じます。
伊藤:私はUXの専門家ではないので、正直なところUXをそこまで厳密に定義はしていません。しかし、何よりも重要なのは「その体験をどう作るか」「なぜそれを作らなければならないか」を考えることです。これがないと、目的を見失い、意味のない施策になってしまいます。
藤井:伊藤さんと話していると、ユーザー側がどう受け取るかという視点と、企業・提供者側がどう仕掛けるかという視点を往復しながら考えているのがわかります。これは非常に健全な姿勢ですよね。とりあえずペルソナを作って、ジャーニーマップを作って、というケースでは企業側の視点しかなく、ユーザー視点が抜け落ちています。
2018年ごろの米国では、「本物のユーザーが登場しない演劇のようなユーザー体験」という意味で、「UX劇場」と揶揄されることすらありました。そのくらい、多くの企業が想像だけでプロセスを完了させ満足しているのです。私が「キメラペルソナ」と呼ぶような、都合のいい架空のユーザー像を作り出してしまうケースは、日本企業でも少なくないように感じます。
伊藤:とりあえず要素や属性を組み合わせて作った結果、実在しないペルソナになってしまうケースですね。
利便性か、それとも幸福度か?良いユーザー体験の定義
MZ:過去に伊藤さんから「便利な機能を増やすことは必ずしも良い体験につながらない」というお話がありました。お二人の考える良い体験とその実現方法についてお聞かせいただけますか。
伊藤:良い体験とは、究極的には幸福度が高いものだと考えています。当事者が「良かった」「嬉しい」と心が揺さぶられる状態が最高です。便利さはあくまで手段であり、幸福度が高ければあえて不便な設計にすることも必要です。企業のマーケティング施策の目的は顧客の特定の行動変容を促すことですが、それは顧客自身にとってポジティブな行動であり、行動の結果幸せな「読後感」が残ることが重要です。
ゲームをプレーした後に、自分の人生観が変わったり、勇気が出たり、ゲームを通じて人と話せるようになったりする人がいます。記憶に残り、感情が揺さぶられる体験こそ、私が目指すべき体験だと考えています。
藤井:私は、体験を「利便性」「意味性」の2つに分けて整理しています。利便性は、ユーザーの困りごとや不便(ペイン)を解消する体験です。「道が混んでいる」「ネットが遅い」といった悩みを解消するサービスは、多くの人が価値を感じるでしょう。しかし、ある程度成熟した日本市場では、無理に不便を探す必要がない場合も多く、便利な機能を増やすことに本当に意味があるのかという疑問に直面します。
一方で、意味性とは、顧客一人ひとりにとって特別な体験です。「好き」「かっこいい」といった価値観は人それぞれ異なります。たとえば、ジャズとウイスキーが好きな人々が集まって、ジャズをかけながらウイスキーを味わう体験は、特定の限られた人々にとって価値あるものです。
利便性のサービスは、市場の多くの人が価値を感じるため、他のプレイヤーも模倣しやすく指標が明確です。私はこれを「10億人から100円稼ぐビジネス構造」と呼んでいます。しかし意味性のサービスは、人数こそ減りますが、その体験は個人の生き方や価値観と結びついているため、人々はお金を払うことや貢献することに抵抗がありません。こちらは「1万人から1,000万円もらうビジネス構造」になります。

藤井:この2種類の体験を混ぜると、うまくいかないケースが多いです。高級スポーツカーのカーシェアリングが成功しづらいのは、カーシェアリング(利便性)と高級車(意味性)の価値観が衝突しているからですね。車を所有する喜びや手入れに手間をかけること自体に価値を感じる人々にとって、カーシェアリングは魅力的ではありません。
このように体験価値を分けて考える一方で、伊藤さんがおっしゃる、読後感や人生に与える影響といった観点も重要だと感じます。デジタルサービスではそこまでの強烈な体験は作りづらいかもしれませんが、ゲームや作品コンテンツにはそうした力があります。