なぜWebCMになると緻密な設計をしないのか?
有園:「WebCM」という言い方になると、途端にテレビCMと並列なもの、対になるものといったイメージが強くなりますね。同時に、Web動画という言い方がとてもぼんやりしたものに感じます。

小霜:意識がまず変わりますよね。まさに、そこが大きいと思っています。Web動画というと、さっきのチューバッカじゃないですが、おもしろ動画をぽんと上げて見られれば何とかなるだろうと、そういう意識になりがちです。実際、そのくらいの意識で広告が作られていると感じています。
それって、言葉は悪いんですが、ちょっと幼稚ですよね。だってテレビCMも、それだけ流せば売れるわけじゃなくて、やはり流すタイミングに合わせて流通の棚を取って店頭周りを整えて、Webで補完するとか場合によっては戦略PRも仕掛けて、と立体的に設計するから効果が上がるわけで。
有園:そうですね。全体設計の中にCMがある。
小霜:そう。なのに、Webに動画を活用しようとなった途端、立体的な視点が欠けてしまう。でも去年あたりから、ただおもしろ動画を上げるだけのような風潮に、広告主が「もうこんなことではダメだ」と気づき始めてきました。バズを狙うのも一か八かで、しかも拡散したところでモノが動かないのはなんなんだ、と。
実際は「失敗」なのに「成功」に見えてしまう
有園:バズってもモノが動かない…。確かに、Webの動画は「=バズれば成功」みたいに捉えられていた向きがあります。
小霜:また、バズった時点で「成功例」として注目されますからね。でも結局、商品が売れるとか、少なくとも何の態度変容も起こせなければ、それは失敗なのでは。当事者は失敗と思っているものが、外から見ると成功例に見えている、そういういびつな構造ができちゃっていますよね。
ただ、意味がないと広告主が思い始めていても、まだ策があるわけではないので、制作サイドが「何か考えて」と無茶振りされている。今すごく、混迷していますね。バズらないよりはもちろんバズるほうがいいんだけど、その中でこう、しっかり成果につながるようなものはないかと模索している状況です。
有園:どうすれば本当にWebの動画がWebCMとして機能するのか、一歩踏み込んで探る節目が今ということですね。
そこで質問したいのは、私も仕事でクリエイターの方と接すると、マス広告出身の方は多少なりともデジタルにアレルギーがあるような、そんなふうに感じるんです。
テレビCMの、ひとつのメッセージを作ってドンと出すやり方に慣れているから、同じターゲットでも通常のバナーとリターゲティングのバナーで、あるいはFacebookとTwitterで、違うコピーが必要だというだけで混乱してしまう。