東京⇔シリコンバレーで見えたモノ
御手洗
で、その実験プロジェクトが決まって、さあやるぞ、という気持ちになってビジネスプランを描いていたんですが、どう描いても市場規模は2~3年程度では大きくならないわけです。
四家
うーんECの市場規模が当時はまだ…。
御手洗
そうなんですよ(笑)。でもまあ実験プロジェクトとしては進むことになったんですが、私自身はプロジェクトから外れまして、今度は別のプロジェクトに転向したわけです。
四家
おお。今度はどんな?
御手洗
こっちは、「B2B、B2Cにかかわらず、ECで必要とされる機能の共通モジュール群(ミドルウェア)を米国のベンチャーと開発していく」というプロジェクトでした。
四家
また大規模なプロジェクトですね。NTTってそんなことしてるんですね。
御手洗
このプロジェクトが、そもそも私が会社を辞めるきっかけになったぐらい、自分にとっては非常に有益なプロジェクトだったわけです。ここで初めてシリコンバレーの会社と実際に仕事ができて、しかもそのメンバーの中には、当時XMLの仕様化にかかわっている人たちもいた、という非常に恵まれた環境でした。この仕事の関係でアメリカに行って、ついでにシリコンバレーの会社もいろいろと回ったんですが、それでかなりショックを受けた、というのはありましたね。
四家
98年くらいですか?
御手洗
ですね、97-98といったところでした。プロジェクトのメンバーも優秀な方が多くて、当時はまだ三菱商事にいらっしゃった
渡邊千賀さん。
四家
おお、現在はアルファブロガーとしても有名な。
御手洗
ですね(笑)。そうそうたるメンバーで、非常に充実した仕事だったと思います。ただ、基本的には日本側は資金注入と仕様の注文付けが主な役割だったこともあり、私も日本側で向こうの会社のケアをする、というのが主な仕事だったんです。で、東京とシリコンバレーを行き来して、向こうの開発陣の様子を見るにつけ「こいつらは朝からベーグルを齧りながら楽しそうに仕事しているのに、しかも時間通りミーティングにも出てきやしないのに(笑)。なんで俺はこいつらのためにお金を集める仕事をせっせとやらないといけないんだろう?」と(笑)。
四家
はははは。そりゃそう思いますよね。
御手洗
でもまあもちろん、彼らは高い技術力があったからこそ、それが実現できたわけで。その辺には目をつぶって考えているわけですが(笑)
四家
まあ、当時は米国内にしたってまだまだ異質な人たちだったと思うんですが。
御手洗
シリコンバレーでは普通だったんじゃないかなぁ。その会社を見ていると、当時から新卒で、スタンフォードの学生が入ってきていたりしたので、「ああここはこういう土地柄なんだなぁ、うらやましい」と思ったものです。