自分たちのDNAに立ち返り変化していく
――これまで培ってきた歴史が長いからこそ、変革は簡単ではないと思います。BtoB主体からBtoCへも進出することを、月森さんはどのように捉えていたのですか?
倉庫業界は良くも悪くも安定した産業なので、急に大きく需要が落ち込むことはありません。でも、中野はこれからの社会情勢の変化において、個の力が表にどんどん出ていくことを見越して、個人向けの業態を強化していこうと旗を振りました。
BtoCへの進出に戸惑った人もいたと思いますが、中野が常々話していた「変化していこうよ」ということに、私は共感していましたね。元々当社は創業当時、政府米を預かる事業に従事しており、商材の保管方法を工夫しながらニッチな市場で評価を得てきたので、独自性の追求は我々のDNAでもあったんです。それが経済成長や業界の拡大路線に乗って大手と競合するようになり、薄利多売の価格競争に陥っていました。
そこで今後の発展のためには寺田のDNAに立ち返り、もっと独自性を打ち出さないといけないというのが中野の考えであり改革でした。その過程で注力事業を明確にし、価格競争になりそうな事業の売却などを経た結果、1,000人以上いた従業員は7%ほど(約100人)に、売上高は7分の1になりました。
個人の困りごとを強みで解決できないか
――まさに、激動だったのですね。
そうですね。変化をどんどん後押しするために、それまでなかった行動指針も策定されました。「作業をより美しくしよう」とか、「朝令暮改を恥じるな」といったシンプルなことでしたが、社内のいろいろなことが大きく動く中で、拠り所になりましたね。朝令暮改というか、朝令朝改という感じでしたし(笑)。
先ほどおっしゃったように、今は人材の流動が当たり前になって、毎月のように新しいメンバーが加わっています。変化を起こしていく風土はできてきていると思いますが、変化が速いだけに寺田のDNAや文化が全体に浸透しきっているのか、そこは課題です。
――そうなんですね。では、一人チームでの模索から生まれた「minikura」について改めてうかがいたいのですが、そもそもBtoC事業の前例がない中で、どこから事業を組み立てていったのでしょうか?
当社の物流事業では以前から、たとえば商社など法人所有のワインや、精密機器など取り扱いがシビアなものも多く預かっていて、温度や湿度などの環境、セキュリティ、人的管理のオペレーションまで、たくさんの技術とノウハウが強みでした。これらを生かす場を、そもそもなぜ法人向けに限っているんだろう、個人向けにはできないのか? と思ったのが発端でした。
一方で、トランクルームのほうは前述のように、スペース単位の契約です。こちらは個人向けにも貸していたのですが、我々は中身には関知しないので、お客様からは「何を預けたか忘れてしまう」「預けたことすら忘れてしまう」という声が聞かれていました。
そこで、これらを合わせて、法人向け同様に我々が1点1点管理する個人向けの預かりサービスができないかと考えたのです。

寺田だから超えられたBtoCの物品管理のリスク
――元々の強みをtoCへ広げたわけですね。ただ、個人の所有物を触るのはとてもリスクが高いのでは……。
そうですね。もちろんBtoBでも破損や紛失のリスクはありますが、市場価値に応じて弁償はできます。でも、個人の持ち物には、家族の形見だったり、取り返しのつかないものもあります。その観点から社内には反対意見も多かったですね。でも、前述の技術力とノウハウがあればきっとできると考え、説得して回って実現に漕ぎ着けました。
実際にリリースすると、使った方からは「え、1点ずつ写真を撮ってくれるの」「クリーニングに出したりもしてくれるの」と感動されることもあり、高く評価されました。そのあたりから社内の印象も変わっていきましたね。
ただ、サービス開始当初はユーザー数が伸び悩み、まさにマーケティングが課題でした。新規性が高く、一般の方にとって倉庫や物流の会社は極めてなじみがない上に、我々はSEOなどWeb上の集客施策を何も知らない。まず知ってもらうことのハードルは高かったです。
当初は完全に自社事業として考え、協業は考えていませんでした。ただ、1点モノを管理できて物流機能もあるというサービス自体には自信があったので、他社が使える形にして新しいビジネスにつなげてもらえたら、という考えからAPIを開発し、ホビー系の企業や、ファッションレンタルの「airCloset」のようなスタートアップとの協業が始まっていきました。
