「男性の中の多様性」に気づけばメッセージも変わる
白石:そうやって企業内、社会を構成する一人ひとりが多様化していくと、これまでダイバーシティやジェンダーの問題が他人事だった男性も、おのずと意識が変わる部分も出てきそうです。ひいては、マーコムの表現も変わるのではないか、と。男性に響くメッセージも多様化していきますよね。
田中:そうでしょうね。
白石:ちなみに、いわゆるミレニアル世代以降からは、ジェンダーの役割について、前途の先生がおしゃっていた“普通”の男性像には強く囚われていないように思うのですが。
田中:それは、実は違います。今の20代は父母も祖父母も「男は稼ぎ、女は家庭」で育っているから、自分たちもそれが当たり前と思っている傾向が強くあります。しかし、これも変わっていきます。僕は今44歳で、妻も働いていますが、僕の子ども世代は共働きが一般的と思って育ちますからね。
白石:今の20代の傾向については意外でした。経済が低成長の時代には共働きは必須となってくるので、20代の男性たちは今までの男性像を打ち破ることを意識を持って実践していく世代なのかもしれないですね。彼らをターゲットとしたコミュニケーションは新しいカタチができてきそうです。
先生の本の中には、「男性にも男性の中に多様性がある、それを見つけて解放していくといいのでは」という提案がありましたが、私はそこに男性がダイバーシティのことに当事者意識を持つ一助になるんじゃないか、と思ったんです。
これは私の課題意識になってしまいますが、企業が社内のダイバーシティ推進活動をしたり、広告PRでダイバーシティやジェンダーに関するメッセージを発信したりするとき、ときどきそれが本当に上滑りのお題目になっているな、と感じることがあります。
田中:よくわかります。本音と建前、ですよね。
白石:まさにそうで。全部とは言いませんが、上滑りになってしまうとき、そこで采配したり決裁したりする立場の人が、ダイバーシティの問題が「自分ごと化」できていない男性である場合が多いことも起因しているように思います。実際に日本の上場企業の女性役員の割合は4.2%ほどでしかないという現状からも推測できます。
ただ、「多様性は男性の問題でもあるんですよ!」といってもピンとこない人のほうがまだまだ多いのが現実ですよね。先生は企業や市民大学などで、ダイバーシティや男性のキャリアに関するセミナーの講師もされていますが、どんな話をすると「自分の問題だ」と気づくのでしょうか?
田中:悲しい話、をせざるを得ないですね。

企業で貯めたポイントは、地域では通用しない
白石:悲しい話、ですか?
田中:僕、20代後半で男性学の研究を志して、30歳くらいからずっと定年退職者のインタビューをしているんです。必ず「40年働いてきてどうでしたか?」と聞くのですが、皆さん一様に「あっという間だった」と答えられます。「それで、どうでしたか?」と深堀りすると、ある男性は「残念です」とおっしゃる。これはとても印象的でした。どのような意味で残念なのかというと、40年って自分の人生の半分なのに、あっという間という感覚しかなくて残念だと。
その方々だって一生懸命働いて、家族を養ってきたのに、なぜそんなに虚しさを抱えているのか。考えてみると、たとえば子どもは七五三に始まって入学式、卒業式といろんな節目があって、大人が都度「区切りだよ」と教えてくれるわけですよね。女性も、結婚する・しない、出産する・しないで立ち止まって考える機会があります。ところが男性はただ「40年働いてください」ということが当たり前の中で生きてきたから、振り返る機会がなかったんですね。
白石:なるほど……。そういうお話は、仕事一本ではない自分の人生を考えるきっかけになりますね。ひいては、他者のキャリアや多様性についても地続きで考えられるようになる気がします。
田中:特に今、退職後の人生も長くなっているわけですから、企業の男性同士の競争社会でのみ生きてきて、ポンと地域社会に置かれたときに「何もない」となってしまうのは、やはり悲しいことだなと思います。
笑い話のようですが、よく定年退職された方が地域の集まりなどで「元〇〇社の、元○○部長の○○です」とあいさつされることがあります。これは、申し訳ないのですが本当に意味がなくて、企業の中で地位や実績というポイントをいくら貯めても、そのポイントカードは地域や家庭では通じないんですよね。過去の業績をひけらかすことによって、自分の居場所を失ってしまう。皆さんのお住まいのどの地域でも、きっとたくさんのおじさんが、公園で地面を見つめたり図書館で新聞を何時間も眺めたりしている。