カスタマーエンゲージメントを築くうえで重要な「モーメント」と「ジャーニー」
顧客と信頼関係を築いていくためには、良質な体験の積み重ねが必要となる。流れるようなシナリオを考えることも重要だが、一瞬一瞬のコミュニケーションで顧客の期待値を上回り、「この企業なら信頼できるコミュニケーションをしてくれる」と思わせるアクションを繰り返していくことが大切なのだ。
そんなカスタマーエンゲージメントを実現するために重要なのが、(1)モーメント、(2)ジャーニーだ。各企業の事例を通じて、實川氏が考えるカスタマーエンゲージメントの理想形について整理してみよう。
(1)モーメント
まず、日本最大級のコンテンツ数を誇るVODサービス「ビデオマーケット」のコンバージョンを改善した事例を見てみよう。ビデオマーケットでは、各動画の詳細ページを閲覧したユーザー経由のコンバージョンが芳しくないことが課題になっていた。そこで画面上のポップアップをいかに工夫するかが改善ポイントとなった。
「SEOから動画詳細ページへ流入したユーザーは、会員登録が必要なこと、初月0円で利用できることに気づいていませんでした。一方、トップページから動画詳細ページに流入したユーザーは、『初月無料はもう知っているから、どんなコンテンツがあるのか知りたい』という要望が高いことがわかりました。それまでどのユーザーにも同じポップアップを出していたのですが、ユーザーの特性や心理状況に応じてポップアップの出し分けをすることにより、大幅にCVRを改善することができました。サイト全体で有料課金のCVRを37%増加させ、無料ユーザーのCVRは1週間で2倍になりました」(實川氏)
この時重視したのは、微に入り細に入るパーソナライズではなく、「その瞬間にそのユーザーが何をしたいのか」を理解し、ユーザーの心理状況に応じて接客方法を変えることだったという。これは、ヤン・カールソンが提唱する「真実の瞬間」という概念に基づいている。ヤン・カールソンは当時、業績が悪化していたスカンジナビア航空の最年少CEOだったが、この「真実の瞬間」を徹底的に改善したところ、同社をV字回復させることができたという。
「『真実の瞬間』とは、お客様と従業員が触れ合うほんの十数秒間のこと。その満足度を高めることこそ、サービス全体の満足度を高める唯一の瞬間なのです。スマートフォンの利用時間が劇的に増えた今、ユーザーのリアルな体験とデジタルの体験を区別する必要はなくなり、いずれもサービス体験の一つとなっています。デジタル上でユーザーと接触したその瞬間も、重要な「真実の瞬間」だと捉えることができます」(實川氏)
この考え方は2005年にP&Gが提唱した「First moment of truth」(ユーザーが店頭にある棚の商品を初めて手に取った瞬間)という概念や、2011年にGoogleが提唱した「Zero moment of truth」(商品にたどり着く以前の、ユーザーが検索して調べる瞬間)という概念の延長線上にある。リアルとデジタルの境界線が溶け合う現代においては、検索はもちろん広告やソーシャルなどデジタル上のあらゆる接点が中長期的なユーザーとの関係性を作るのに重要なのだ。
「トップページを見た瞬間、SNSで口コミを見た瞬間、スマホアプリの広告を見た瞬間など、デジタル上のあらゆる接点が、これからの『真実の瞬間』となります。そのほんのわずかな一瞬(モーメント)をどう演出し、いかにユーザーの期待に応えるかが、カスタマーエンゲージメントを成功させる一つの鍵となります」(實川氏)
(2)ジャーニー
次に實川氏は、あるワイン通販サイトから送られてくるメールマガジンの事例を紹介した。そのメールマガジンは、写真も装飾もなくプレーンテキストだけ。オンラインショップへ誘導するリンクすら貼られていなかった。ところが實川氏をはじめとするコアなファンはそのメールマガジンを心待ちにし、そこに書かれたワインの情報を読み込んで、自らサイトを検索し、購入するのだという。一見、アナログな手法で作成されているメールマガジンだが、この通販サイトのユーザーがロイヤル化するための大きな鍵となっている。
「すべてのワインを店主が自分でテイスティングしていて、その感想や評価がメールマガジンにびっしり書かれています。店主のものすごい熱量と、それを裏切らない安さや美味しさがユーザーの期待値を超えているのです。つまり、ユーザーはマーケティングのセオリーに則っているから買うわけではなく、企業のサービスに対する熱量に感化され、購買意欲が高まるのです」(實川氏)
ユーザーと信頼関係を築く「真実の瞬間」であるモーメントを演出し、様々なモーメントを積み重ねて、ジャーニーを描く。その両輪が、深く、長く続いていくカスタマーエンゲージメントを構築させる秘訣なのだ。
「モーメントとは点による施策で、ジャーニーは点を線にしていくための考え方です。定性調査によってユーザーの声を聞くことと、定量調査であるデータを組み合わせて、ユーザーを理解した上で施策に落とし込むことが、長期的なリレーションにつながります」(實川氏)