これまでのプロモーション方法では需要を喚起できなくなった
――客足が伸び悩んでいたのですね。フェア実施のテレビCMもよくお見かけしましたし、出店も続いていたことを踏まえると、意外です。
これまでは、フェアを打てば停滞期も持ち直していたのですが、それが効かなくなっていたのです。また、新規出店もこれだけの店数になると既存店との商圏の重なりも起き、今までのセオリーでは通用しないことを痛感していました。
――そもそも、これだけのチェーンで店内での手作りにこだわっていることが、非常にチャレンジングなことなのでは?
ご指摘のとおりです。当然、セントラルキッチンにすれば人件費を含めたコスト効率化も図れますし、店内の厨房面積も小さくて済むので、都心や駅前で家賃が高くても出店できます。何より、作る人による味のブレを防げます。それらを押しても、手作りにこだわりたかった。
その背景を少しお話しすると、私が子どもだった頃は、日本にはそもそも飲食店が少なかったんですね。そこに1970年代になってハンバーガーショップやファミレスが登場し、私の世代はファミレスでナイフとフォークの使い方を学びました。そこから1990年あたりまでは、もう各社の陣取り合戦です。出店すれば流行り、日本人が皆「外食」に熱狂しました。需要を喚起するとはいかに大事か、と考えさせられます。
当時はこういった時代背景から、属人性を廃して合理化を極め、まだ飲食店がない場所にいち早く出店することが日本中で求められていました。1997年に外食産業は市場30兆円でピークを迎え、徐々にシュリンクしていきます。コンビニに代表される「中食」が台頭し、工業化を志向した多くのチェーン店が徐々に苦戦を強いられていきました。そんな中、2000年に立ち上げたのが丸亀製麺だったので、工業化ではなく、あえての属人化に挑戦したのです。
次に打つ手がわからない中マーケティングに活路
――なるほど。勝算があったわけですね。

勝算というほど確固たるものではないですが、自分の体験から「やっぱり人はできたてを食べたいものだ」という思いがありましたし、それこそがこれからの時代の需要喚起だと強く感じました。多店舗展開にあたって、味はもちろんブレないに越したことはないですが、味のブレとできたてと、顧客の優先順位がどちらにあるかと考えたら当社の判断は後者でした。そして、その判断に社員や店舗スタッフの皆がついてきてくれた、その人の力こそ当社の強みであり、今日がある理由だと考えています。
ただ、そうやって伸びてきた丸亀製麺ですが、ここへきて客足が鈍ってしまった。その理由を、競合他社や異業種を研究しながら考えると、これはマーケティングの力が欠けているのではないかと思ったのです。我々は外食産業のピーク以降、手作りで顧客の需要を喚起していたはずなのに、いつの間にか成果が出なくなっていた。今のお客様の気持ちがわからない、なす術がないと思ったとき、当社に足りていないのはマーケティングだ、市場と顧客を分析する力だと思い至りました。
――御社には、マーケティングの部門はなかったのですか?
いえ、営業部門の中にマーケティング部はあったのですが、前述のフェア商品のテレビCMやPOPなど、主にプロモーションを担っていました。ここまでの成長にはもちろん、当時のマーケティング部の尽力が大きく貢献しています。ですが、今後はもっと戦略的に顧客分析をして次なる需要喚起の芽を見つける、本来のマーケティング機能を社内に持つべきだと考えました。
そこでまず、マーケティングを任せられる人材を探して、サザビーリーグや他の飲食業態でも経験を積んできた南雲克明を昨年8月に部長として招きました。また、以前はIT部門に所属していたアナリストチームもマーケティング部に集約し、部内で仮説立案から検証までを一気通貫でできるようにしました。併せて、外部からも客観的な分析と視座を得るべく、人脈をたどる中で刀の森岡毅さんとの出会いがありました。
