続くコロナ禍
日本で新型コロナウイルス(COVID-19)の最初の患者が確認されたのは、2020年1月のことです。つい最近のことのようでもあり、それ以前を思うと遠い昔のようでもあります。思い返せば、2020年2月末には早々に小中高校の臨時休校が決まりました。そして2020年3月には、夏に予定されていた2020年東京オリンピックの1年延期が決まります。この時には、一年後もここまでオリンピックで揉めることになろうとは、一体どのくらいの人が予想していたのでしょうか。
そして2020年4月になると、政府からは全都道府県に対し緊急事態宣言が発令され、2020年5月に緊急事態宣言が解除されるまで、私たちは、過去に経験したことがないような不安な日々を過ごすことになりました。こちらも、一年以上過ぎても引き続き緊急事態宣言に右往左往することになろうとは、やはり多くの人々は予想していなかったに違いありません。
実際のところ、2020年5月を過ぎても、新型コロナウイルスの感染拡大が収まる兆しはあまりみられませんでした。「新しい日常」、「ニューノーマル」として、新型コロナウイルスとともにある生活が模索されるようになるようになったのもこのころからです。マスクをつけた日常生活や、3密を避けた行動が意識されるようになりました。ちょうど1年前の夏は、感染者数が増加し第二波となりました。その後も感染者の増加と減少を繰り返し、ついに2021年7月のオリンピックは4度目の緊急事態宣言下での実施となりました。
この間、世界でも同様の状況は続いています。年末に始まった新型コロナウイルスワクチン接種によって、イギリスやアメリカではデルタ株の影響がありつつも死者の数は随分と押さえ込まれつつあります。新たな状況が生まれつつもあるといえますが、日本では引き続き感染拡大が止まらず、接種完了もまだ先になりそうです。
6つの未来シナリオ
この1年半で何が変わったのでしょうか。逆に、何が変わらなかったのでしょうか。この問いは、私たち個人だけのものではありません。企業はどう変わったのでしょうか。社会や世界はどう変わったのでしょうか。
たとえば、ドイツのシンクタンクであるプログレッシブセンターの政策フェローのマックス・ノイフェインド博士らのレポートでは、ワクチンが開発される以前に、2025年を見据えた世界の変化が6つのシナリオとして提示されていました。
1、新しい黄金時代
2、多様なローカリズム
3、革新的な個人主義
4、テクノクラシー福利
5、ナショナル・ポピュリズム
6、スクール・トリップ
これらはそれぞれが良い面と悪い面を持ち合わせているとともに、基本的に西洋中心の見方も含んでいて示唆に富んでいます。
「新しい黄金時代」は、WHOを中心としたワクチンの無料供給によって世界は一貫して危機を回避し、公平で社会的に価値のある公共政策の重要性が語られるようになる時代です。社会にとって本当に重要なものが何かが見直され、うまくいかないこともあるものの、世界全体としては生活の質の向上がみられることになります。
逆に2つ目の「多様なローカリズム」のシナリオでは、生活の質の良し悪しは地域に依存することになります。自分たちを守ろうとして行動した結果、自分たちを規定するコミュニティの範囲がより強固になり、時に対立を生み出します。
3つ目の「革新的な個人主義」では、国や社会が信頼を失い、コミュニティよりも高度に個人化された世界が生まれています。政治家もまた個人の責任を強調するようになっています。
4つ目の「テクノクラシー福利」は、欧米の回復が遅れる一方で、中国を中心とした(日本も含まれる)東アジアでの回復が先行するシナリオです。この世界観は、特に欧米中心の見方でしょう。東アジアの成功は集団主義的な管理の様式にあるとみなされ、欧米においても同様の傾向が強まります。技術者や科学者が力を持つことになり、彼らに対する批判はそもそもシステム的に排除されるようになっています。
5つ目の「ナショナル・ポピュリズム」では、2つめのローカリズムに似て国単位でのコロナ対策が進められており、統一的な対策は行われていません。各国は保護主義的な政策を取り、移民など移動の自由が制約されたままになります。
最後の「スクール・トリップ」は、2020年内に新型コロナウイルスの流行拡大が治まるという、今となっては完全に架空のシナリオです。世界は2019年までと何も変わらず、コロナ禍は修学旅行での一時の思い出のようになっています。世界は変わる可能性もあったはずですが、多くの人々が現状の維持を支持し、それまでの問題がそのまま残されます。