広告発信者にユーザーの行動の決定権はない

須田:要は、ユーザーの行動の決定権はユーザー本人にあって、我々広告発信者にはないんです。決定する権利も、能力もない。ただ、ホントに使ってもらえるかな……と気にするくらいしか僕らにはできなくて、使ってもらえたら本気で喜びましょうよ、と言いたい。
この「感じ方」こそが、半強制的にリーチするマス広告とはベクトルが真逆です。マス広告発信者である自分たちの特権性を、平気で捨てる「へりくだった感受性」がないとうまくいかない。この意味でも、自分の性格にすごく合ってました(笑)。
有園:使ってもらえる、アクセスしてもらえる、クリックしてもらえる……全部そうですね。検索連動型広告も、入力キーワードに込めたユーザーの意図と、広告文と、クリックして飛んだ先のLP内容が合致していないとユーザーの満足度が下がる。それを私自身もやっていて実感していました。
この先、テレビがネットにつながると、CMもクリック可能な双方向のものになりますよね。デジタル広告と同じように、ユーザーに応じてCMを出し分けて、レスポンスも測れる世界になる。そうなると、マスの世界に居続けている人にも、クリックしてもらえるとか拡散してもらえるという視点が大事になってくるのではと思います。
須田:本当にそう思います。そのとき広告企画者に問われるのは、シンプルですが、やはり見てもらえる広告、見た後に友達に教えたくなる広告をどれだけ知恵を使って作れるかということに尽きる。今、アドブロックの話も取りざたされていますが、ユーザーは見たくないものはあらゆる手を使って見ませんから。
動画広告の最適なUX開発が急がれる
須田:それでいうと、デジタルの世界の動画広告の仕様も、今の段階ではUX(ユーザーエクスペリエンス)が間違っていると思います。
見たいコンテンツを見に行った時に、その前にさえぎるように広告動画が何秒も差し挟まれる。家でくつろいでテレビ番組を見ている時に差し挟む形式の動画広告、つまりテレビCMはその形でよかったかもしれませんが、0.1秒単位でレスポンス速度を改善し続けているようなオンラインサービスサイトで、そんな広告仕様がユーザーに許されるワケがない。
とはいえ、決して広告をやるなと言いたいのではありません。プラットフォームが提供しているサービスに対して、そこでの広告のUXが間違っているんです。テレビCMのような情緒的な表現ができる動画広告の、デジタルにおける最適なUXをいち早く開発しないといけないと思ってます。
有園:同感です。割り込んでくるタイプの広告も引き続き機能し続けるとは思いますが、必ずしも生活者をハッピーにしているわけじゃない。欲しい情報ならいいですが、そこまでマッチングできていませんし。だから、今後ますます使ってもらえる広告がソリューションとして生きる時代になるのだと、お話していて確信しました。
最後にうかがいますが、著書の後半に「使ってもらえる広告は実は昔からあった、たとえば栓抜き」という話があります。これを踏まえて、今後の展望を聞かせていただけますか?
須田:昔からあるビールのブランドロゴが入った栓抜き、あれこそ実は「使ってもらえる広告」だったと、執筆の最後のほうで気づきました。人間が欲しているものは、根本はそんなに変わらない。だから、今後さらにメディア環境が変わって、あらゆるモノがIoT化したとしても、「普通の生活の、お役に立つものは何か?」という、変わらない考え方でいけるんじゃないか? 大丈夫だ! と思っています。
広告の構造も、昔とから驚くほど変わっていません。宣伝する場が歌舞伎の演目の合間なのか、テレビなのか、Twitterなのか、スマホなのか、その場をそれぞれ学んでUXを「最適化」すればいい。
今デジタル広告の世界になじめなくて苦しんでいる人も、考え方を逆にする柔軟性さえあれば、これまで積み上げた技量は100%移植して活用可能です。20世紀のスキルの上に、21世紀のリアルを足せば、さらに進化していけると思います。