分散型思考とリゾーム化社会が重なる
私は、この連載の最初に、「大衆化社会」は「リゾーム化社会」になりつつあり、そして、「マスマーケティング」は「リゾームマーケティング」へと移行している、と書いた(参考)。
「リゾーム化社会」という言葉を使うのは、マーケティング領域だけではなく、社会全体にリゾーム化の影響が及びつつあると思うためだ。そして、佐藤氏や西川氏のような「分散型思考」経営者が最先端を走るのも、「リゾーム化社会」の特徴を的確に捉えているからだ。これまでの記事でも触れているが、リゾーム化社会の特徴として7項目を記載した。
- 「つながりがある(connected)」
- 「動きがある(active)」
- 「中心がない(decentralized/distributed)」
- 「ノードがある、ハブがある(node/hub)」
- 「かたまりがある(clustered)」
- 「始まりも終わりもない(no-start/no-end)」
- 「開放的で解放的(open/liberal)」
たとえば、西川氏が語る「エッジヘビーコンピューティング」というモデルは、クラウド・ネットワークデバイス・エッジデバイスのそれぞれが、つながった(connected)状態になって初めて実現可能だ。つながった(connected)状態だからこそ、分散処理して協調することができる。
リゾームの3つ目の特徴、「中心がない(decentralized/distributed)」とは、「分散している(distributed)」と表現してもいい。IoTによってコンピューティング環境がリゾーム化するからこそ、西川氏の「分散協調的」なモデルが機能し始める。
メタップスの佐藤氏は、「分散化」の延長として、シェアリングエコノミーやトークンエコノミー、そして、「自律分散」という次世代モデルについて論じていく。
佐藤氏は、人間がスマートフォンで常につながって、さらに、モノとモノもIoTで常時接続する状態を「ハイパーコネクティビティ」と呼び、分散化する社会の原動力になっていると捉えているようだ。
「リゾーム化社会」という言葉こそ使わないが、つながっている(connected)ヒトやモノが常時接続すること、つまり、固定的ネットワークではなく、動いているときも常に接続している、動的(active)なつながりを重視し、そのことによって、「自律分散」という「中心がない(decentralized/distributed)」モデルへと移行しつつある。
佐藤氏の語る「ハイパーコネクティビティ」が引き起こしつつある変化は、私のいう「リゾーム化社会」のイメージとかなり近いと感じた。
ところで、社会がリゾーム化する、あるいは、ハイパーコネクティビティによって自律分散型の次世代モデルが実現するというとき、その特徴を表すために象徴的に「お金2.0」という言葉を使ったのは慧眼だ。なぜなら、ハイパーコネクティビティは社会全体に影響を及ぼすのだが、もっとも分かりやすい変化は経済的な領域で起こるからだ。
たとえば、中央銀行がハブとして介在しない自律分散型モデルの出現。それは、もちろん、ビットコインに代表される仮想通貨であり、技術基盤としてはブロックチェーンなのだが、その技術によって、貨幣の存立構造が根本的に変わる。それは、まさしく「お金1.0」から「お金2.0」にバージョンアップしたと考えていい。
そして、貨幣の在り方が変わるということは、我々の社会が貨幣経済であり資本主義であるからこそ、革命的で破壊的な影響を及ぼす。したがって、「リゾーム化社会」やハイパーコネクティビティによる自律分散型モデルの影響を考えるには、資本主義の中心にある「貨幣とは何なのか?」という問いが重要になってくる。