学生時代の使命感と経営者への道
田村:私が学生だった2000年前後の日本は長い不況の中にありました。その一因として、官僚主導経済が問題となり、巨大な権力を誇った大蔵省が再編され、政治主導として内閣府が発足したりもしました。そんな社会のリーダーシップの形が議論されているにも関わらず、そういう議論ができる学生が法学部のなかでも少なく、司法試験や国家公務員試験といった試験合格を目指して予備校に通う学生が多いのが気になりました。もちろん、努力することは素晴らしいことですし、個々人の選択を否定しませんが、社会全体でみると、社会のレールが固定的で多様性に欠けると映りました。当時、シリコンバレーのIT革命のなかで多様なビジネスリーダーが生まれていたときでもありましたからなおさらです。なので、そこに危機感を覚えて、固定されたレールから降りることを恐れない生き方をしようと。一方、当時の金融危機に対する問題意識をもち続け、違うやり方でも日本経済の再生につながる貢献ができるはずだという考え方から、金融の仕事を選んだのです。
出雲:私が最初に金融の世界に入ったのとは異なる考え方ですね。
田村:そしてその後、ビジネスリーダーの大切さを考えさせられ、使命感を胸に、仕事に取り組んできたことは大きかったかなと思います。
出雲:そうだったんですね。私は当時から、田村さんや志ある仲間がまさに「天下国家」を語るように社会のあるべき姿を議論するのを聞きながら、こういう人材は日本にとって大事だし必要だと思っていました。一方で私自身には他にやるべきことがあるのではと思っていたのです。
田村:それは、なんだったんですか?
出雲:私が最も尊敬する日清食品の創業者、安藤百福さんの言葉である「食足世平」、やはり私はこっちなんです。天下国家を考えられる人には考えてほしいけど、でも全員がそうなっておいしいものがなくなったら困る。食足りて世が平和で、その上に複雑な国家社会機構が成立していくものだろう、と。そして、ミドリムシと出会ったこととの自然な延長で、経営の道に入りました。
強い中核技術がさらに強い技術を引きつける
田村:出雲さんの根幹にはそんな考えがあったんですね。それぞれの信念の下に突き進んで、今こうして話せているのはとても貴重です。
出雲:そうですね。私は天下国家のことをよく知りませんが、本当に同じサークルにいたんですよ(笑)。
田村:私も新卒入社した金融業界では、実力を含めて現実に直面して、使命感どころではなかったですよ。でも、当時の金融システムが標榜していたものがリーマン・ショックで破綻し、多くの社員が不幸になった経験から、リーダーシップの重要性を改めて認識しました。そこから自分自身が経営リーダーになると志し、縁あって今に至っています。ところで、ユーグレナ社は伊藤忠商事を皮切りに、複数の出資社が集まった経営の形になっていますよね。オープンイノベーションで大事なことは、なんだと思いますか?
出雲:ベンチャーのオープンイノベーションで大事なのは、やはり強力な中核技術です。絶対にリプレイスメントができない革新的な技術があれば、そこに同じくトップレベルの技術を有する企業が注目し、集まってくれる。たとえば日立製作所が設計したプールで日本ユニシスのAIを使ってミドリムシを培養するといった技術の掛け算の実現です。こうしてもう誰も入ってこられない強固なビジネスになっていくのだと思います。