テクノロジーの進化と大量失業のジレンマ
Googleの前CEOエリック・シュミット氏らが執筆した『How Google Works』(日本経済新聞出版社 2014)では、情報/データの重要性とその未来を、次のように表現している。
「私たちは大きな問題というのは、たいてい情報の問題であると見ている。つまり十分なデータとそれを処理する能力さえあれば、こんにち人類が直面するたいていの難題の解決策は見つかると考えているのだ。コンピュータは人間の(全人類の)命令により、その生活をより良く、便利にするために使われるだろう。シリコンバレーの人間である私たちがこんなお気楽な未来観を語れば、相当な批判を受けるのは覚悟している」(引用元)
コンピュータに十分な情報/データを処理させることができれば、未来は明るいというわけだ。もちろん、私は、Googleにいた人間でもあるし、彼らの考えに、ほぼ賛同している。ただし、その結果、多くの仕事が自動化されていく。
現在、Googleで人工知能開発を主導するレイ・カーツワイル氏は、仕事の自動化について、「この先二、三〇年で、肉体的、精神的ルーティンワークのすべてが事実上、オートメーション化される。コンピューティングとコミュニケーションは、携帯用デバイスのような個別の機器を必要としなくなり、数々の情報資源からなる継ぎ目のないWeb環境となって、我々を取りまくだろう」(『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき』NHK出版 2016より引用)と予測している。
Facebookのマーク・ザッカーバーグ氏が、2017年のハーバード大学の卒業式で、生きていくのに必要なお金をすべての人が無条件で受け取れる、ユニバーサル・ベーシックインカムの導入を提唱した(参考記事)。この背景には、もちろん、自動化テクノロジーの台頭にともなう、大量失業時代の予感がある。
シリコンバレーでは、ベーシックインカムについて真剣に議論されているようだ。なぜなら、人工知能によって大量失業が発生すれば、結果的に、経済全体の有効需要を縮小してしまうからだ。
つまり、人工知能の負の側面が強くなり過ぎると、Googleが思い描く未来は「お気楽な未来観」として笑われてしまう。それは、彼らが儲からないだけではない。自分たちの信じる明るい未来を作れなければ、シリコンバレーのテクノロジー信仰者の敗北だ。おそらく、天才たちのプライドが、それを許さないだろう。
2015年度フィナンシャルタイムズ&マッキンゼー主催「ビジネスブック・オブ・ザ・イヤー」を受賞した『ロボットの脅威 ―人の仕事がなくなる日』(日本経済新聞出版社 2015)で、ベーシックインカムのような保証所得制度の必要性を、「共有地の悲劇(※)」の挿話を使って説明している。重要な論点だと思うので、少し長いが、引用する。
※多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうという経済学における法則(出典:Wikipedia)
「基本的なセーフティネットを提供する必要性のほかにも、保証所得制を推す強力な経済的論拠があると私は考える。<中略> テクノロジー主導による格差の拡大は、広範囲にわたって消費を脅かす可能性が高い。労働市場が絶えず縮みつづけ、賃金が停滞もしくは低下すれば、消費者に購買力を持たせようとするメカニズムは崩れはじめ、製品とサービスの需要も不振に陥る。この問題を目に見えるようにするには、市場を再生可能資源として考えるのがいいのではないだろうか。
消費市場を魚でいっぱいの湖だというように考えてみてほしい。ある企業が製品またはサービスを市場へ売りに出すときには、魚を捕まえる。従業員に賃金を払うときには、魚を湖に戻す。自動化が進んで雇用が消えるにつれ、湖に戻る魚が少なくなっていく。ここであらためて念頭に置いておくべきなのは、ほぼすべての大企業は、中程度の大きさの魚を数多く捕まえることに頼っているということだ。
格差の拡大は、少数の非常に大きな魚をもたらすが、大半のマスマーケット産業の視点からは、そうした魚は通常サイズの魚と比べて途方もなく価値が高いというわけではない(億万長者であっても、スマートフォンや自動車を一〇〇〇台も買ったり、レストランに一〇〇〇回食事に行ったりはしない)。これは『共有地の悲劇』と呼ばれる古典的な問題だ(引用元)」
つまり、市場という共有地に再生不能なダメージを与えてしまう。それは、悲劇にしかならない。したがって、ベーシックインカムのような制度が必要になる。しかし、では、その財源をどうするのか? そのことについて、まだ有効な回答はないようだ。