マイデータの根底にあるのは「個人」
私は、今年の5月後半にフィンランドとエストニアに出張した(「Helsinki/Tallinn Digital Identity Tour 2018」を利用)。その際に、フィンランドのAalto Universityで、マイデータに関する講義を受けた。そこで学んだことを紹介したい。
まず、マイデータのビジョンだが、「The core idea is that individuals should be in control of their own data.」。つまり、各個人が自分自身に関するデータをコントロールするべきだという考え方だ。

これは、GoogleやFacebookなどがデータ覇権を握りつつある状況に対するアンチテーゼ。このビジョンは、一部のIT企業の独占的状況に対して反旗を翻している。

この一部の企業が自分たちの個人情報などを使って莫大な利益を上げている。そのほとんどがアメリカ企業である。ある意味で、経済的な覇権をアメリカから取り戻したいという側面もある。
だが、より根深い問題は、一部の企業に情報が集まることで、まるで監視されているように感じてしまうことだ。いつの間にか知らないうちに私の行動が監視されている。そんな不安がある。
それは、フランス革命の「自由・平等・博愛」という精神に反する。ヨーロッパに連綿と続く、個人の自由や平等の理念に反し、ヨーロッパの個人主義(individualism)が危機に瀕する。つまり、政治闘争の側面もある。
それが、結果的に、マイデータというビジョンを生む。「Individuals(各個人)が主語になって、自分のデータをコントロールするのだ!」という高らかな人権宣言にもみえる。

この出張では、スペイン人の教授が開催した「MyData Workshop」というセッションも受けた。そこでも繰り返し、IT企業が個人情報を取得し勝手に利用していると強調された。正直、ちょっとしたパラノイアだなと思った。
ただ、ヨーロッパには、ナチスドイツのような歴史がある。また、ジョージ・オーウェルの『1984』のような全体主義への恐怖もある。まさに、「BIG BROTHER IS WATCHING YOU」、IT企業がBIG BROTHERになると危惧している。
フランスの思想家、ミッシェル・フーコーが、著書『監獄の誕生―監視と処罰』(新潮社,1977)で紹介した「パノプティコン」(一望監視施設、全展望監視システム)をご存知だろうか。
パノプティコンとは、監獄の囚人監視装置だ。私の解釈では、フーコーは、近代の社会システムの中で、個人を管理する権力技術としてパノプティコンの原理が応用され、それが国家権力の本質を成していると論じた。

このパノプティコンの模式図と「Organization Centricの図」は、同じ形状だ。中心にGoogleやFacebookを置くことで、監視人が主体であり、個人は周辺の一部だと見せる。パノプティコンを想起させる絵を描くこと、それは、ヨーロッパ人の恐怖を煽るのだ。