AI時代におけるマーケティングの構造的課題と、ブランディングの再定義
現代のマーケターは構造的なジレンマに直面している。アプローチすべきチャネルは拡大の一途をたどり、必要とされるコンテンツ量は大きく増大した。さらに、顧客のニーズに合わせた高度なパーソナライズが求められる。だが、現場に与えられた時間とリソースは限られている。
イベントの冒頭でアドビの松山氏は、この課題はマーケター個人の創造性や情熱の欠如によるものではなく、仕組みそのものの限界に起因すると指摘した。
AIによって生成されたコンテンツが爆発的に市場にあふれる状況こそ、これまで以上に企業の真価を左右するのはブランディングである。顧客との感情的なつながりを構築してロイヤルティとLTVを高められるブランドこそが生き残る、と松山氏。そのためにはアイデアの創出から効果測定に至るまで、クリエイティブ、マーケティング、AIを分断させることなく統合する仕組みが不可欠となる。
アドビが強調するのは、AIが進歩しても「主役は常に人間である」という原則だ。AIは人間の代替ではなく、人間の創造性を解き放ち、価値を最大化するための基盤として位置づけられるべきだと松山氏は示した。
「すべての人の創造する力を解き放つ、それが我々の使命です。何かを生み出すのは道具ではなく、いつでも『人』です。そして今、AIによってクリエイティビティとマーケティングは転換点にあります」(松山氏)
顧客接点と意思決定を塗り替える、3つの変化
デジタルマーケティングと顧客体験を取り巻く環境は、アドビの三石氏が提示する「3つの構造変化」を遂げている。
第1の変化は、顧客がブランドを見つけるプロセスの変容である。従来の人間が直接検索エンジンを使うスタイルから、ChatGPTやGeminiといったAIプラットフォームやAIエージェントが窓口となり、情報を集約・精査する時代へ移行した。WebトラフィックにおいてAIエージェントによるアクセスが人間を上回りつつあり、企業は人間だけでなくAIエージェントに対しても自社ブランドを正しく認識させる必要がある。
第2の変化は、意思決定とタスク実行を自律的に行うAIエージェントの進化速度である。調査によれば34%のマーケティング組織がAIエージェントを本番環境に導入しており、これは数ヵ月前と比べると2倍以上となり、組織の成熟度を急速に引き上げている。
そして第3の変化が、コンテンツの爆発的増加とチャネルの多様化にともなう複雑性の増大である。多くの企業において今後数年で必要とされるコンテンツ量は数倍に跳ね上がると予測され、従来の管理・運用モデルでは対応が不可能な領域に達している。
オーディエンス、チャネル、ブランド管理が複雑化する中で不可欠となるのが、工程を円滑に統合・制御する仕組みである。「単なる自動化を超え、AIからのアウトプットを即座に活用できるコンテンツとアクションに変換する『カスタマージャーニーオーケストレーション』が今こそ求められています」と三石氏は述べた。
次世代CX基盤と自律型AIは何を可能にするのか
複雑化する顧客体験を統合的に管理する解決策として提示されたのが、エンドツーエンドのエージェント型統合AIシステム「Adobe CX Enterprise」である。アプリとAIエージェントを連携し、データ、コンテンツ、ジャーニーを管理して大規模なパーソナライゼーションを実現する。
この基盤の中核を担うのが、マーケティングチームの新たな「同僚」として機能する自律型AIエージェント「CX Enterprise Coworker(以下、CX Coworker)」だ。単一のタスクをこなす従来のAIとは一線を画し、複数のAIエージェントを同時に統制しながら、企業が利用する既存システム全体をつなぐ横断的なレイヤーとして機能する。
CX Coworkerの特徴は、システムの操作手順だけでなく、キャンペーンの意図やビジネス目標といった「コンテキスト(文脈)」を理解して自律的に動く点にある。過去の施策結果から学習し、ブランド固有のルールや承認フローといったガバナンスを遵守した上で、ターゲットの抽出からコンテンツ生成まで遂行する。
三石氏は、このシステムが対応し得る3つの主要ユースケースを紹介。AIプラットフォーム上での自社ブランドの認知と信頼性を高める「ブランドの可視性(ビジビリティ)」、需要の急増に耐え得る「コンテンツサプライチェーン(コンテンツを計画・制作・配信・分析する一連のプロセス)」、そしてデータ基盤を活用した「顧客エンゲージメント」である。
まず、人とAIエージェントの双方がオーディエンスとなる時代は、それぞれにブランドを発見してもらうことが重要だ。「Adobe LLM Optimizer(現:Adobe Brand Visibility)」と同社が買収したSemrush(セムラッシュ)のソリューションを組み合わせることで、ブランドの可視性を最適化し、ビジネスへの影響まで把握できる。
その実現のためには、適切なコンテンツ管理がカギとなる。コンテンツサプライチェーンを強化するソリューション「Adobe GenStudio」では、プランニングからレポーティングまでコンテンツの最適化が可能。アドビの生成AI「Adobe Firefly」は、データプラットフォームと組み合わせることで、大規模なコンテンツのアップデートを実行できる。
そして、データ、オーディエンス、インサイトを統合する考え方が「顧客エンゲージメントオーケストレーション」。オーディエンスとチャネルが複雑化する中で、顧客体験をいかに統合・管理していくか。アドビはエージェントAIシステムを提供し、あらゆるチャネルを通じて最適化された体験を届ける環境を実現している。
さらに、AI時代の競争力の源泉として重要なのはデータだ。「Adobe CX Enterprise」を「Adobe Real-Time CDP」「Adobe Journey Optimizer」「Adobe Customer Journey Analytics」と組み合わせ、全チャネルで一貫したパーソナライズ体験を実現できる。ChatGPT、Geminiなど外部のAIプラットフォームとの連携も可能だ。
エージェントと協働する世界観とは?アクションまで完結する「顧客体験オーケストレーション」の全貌
理論上の概念にとどまらず、実際の業務プロセスがどのように変革されるのか。アドビの澤田氏により、ホテルグループであるマリオットの架空データを活用した具体的なデモンストレーションが披露された。
デモンストレーションでは、ある特定地域のWebサイトにおいてオーガニックトラフィックが急増しているにもかかわらず、予約のCV率が低下している課題の検知から始まった。CX Coworkerは、テレビ番組撮影の影響で旅行への関心が高まっているトレンドを自律的に分析し、LPの最適化と新規獲得キャンペーンの実施を提案した。
さらに、既存のアセット管理システムから承認済みの画像を引き出してページを更新し、ターゲットの関心に合わせたキャッチコピーの候補を提示するといった実行プロセスまで構築。人間が承認するだけで、アクセシビリティやSEO、AIからの可視性を自動で検証するチェック機能が働き、瞬時に公開される。
並行して、AIがコールセンターやチャットのデータを分析し、これまで見落とされていた新たな見込み顧客の層を発見する。人間が気づきにくいシグナルを拾い上げ、複数チャネルを横断したキャンペーンが自動で構成されていく。キャンペーン公開前に、パフォーマンスのシミュレーションも行える。
「インテント(意図)からアクションまで、CX Coworkerが目標達成に必要なワークフローを選び、複数のエージェントを連携させ、一連の連続したプロセスとして実現します」と澤田氏。点在するツールを人間が手動でつなぎ合わせる必要はなくなり、AIエージェントが統合的にタスクを処理する顧客体験オーケストレーションが現実となったのだ。
三石氏はデモンストレーションを受け、「Adobe CX Analytics」についても紹介した。対話型インターフェースを備え、1つのワークフローでアクションまで実行できる。連携して動く「Adobe Brand Intelligence」エージェントはコンテンツがブランドアイデンティティや文脈に沿うよう支援し、「Adobe Engagement Intelligence」エージェントはコンテンツとジャーニーを一人ひとりに最適化して提供する。
「すべての企業が今、エージェント型へと変わっていく途上です。どのフェーズであっても、私たちは世界中でのアイデアを形にし、お客様とつながり、価値のある体験を届けるサポートを提供します」(三石氏)
NVIDIAが実践する「マーケティング工場」と、人間×AIの新たな協調関係
セッションの後半では、先進企業におけるAIの実装例としてNVIDIAが登場。同社の堀内氏は、マーケティング業務におけるAI導入について「最初から完全自動化を目指したわけではない」と語った。メールの件名テストやソーシャルメディアの投稿といった、属人的なプロセスの一部を自動化する小さな試行錯誤からスタートしている。
第1段階ではAIをパイロット的に使い、業務の部分的な自動化から着手。2024年以降は第2段階として、AIエージェントが自律的に働くレベルに向けたフェーズがまさに進行しているという。「エージェント同士でタスクを行うマルチエージェントの世界が、すぐそこまで来ている」と堀内氏は実感を明かした。
現在、NVIDIAのマーケティングチームは「MIA(Marketing Intelligence Assistant)」と呼ばれる独自のマルチエージェントシステムを構築し、Adobe Experience Cloudを基盤とした「マーケティング工場」を稼働させている。各プロセスに特化した自律型エージェントが相互にデータをやり取りし、キャンペーン全体を動かす。結果として、人間の役割は作業の実行から、AIが提示する結果のジャッジや戦略的な調整、そして複雑な課題解決へとシフトしている。
「AIが人間の仕事を奪うのではなく、仕事の本質を増幅させます。人はAIを使って仕事を効率的にでき、より人間らしい創造性に集中し、新たに価値を生み出せるようになります」(堀内氏)
この言葉が示すように、AIエージェントが普及する未来において企業が直面するのは、AIに仕事を任せて暇になる世界ではない。むしろAIという強力なインフラを使いこなし、ビジネスの成果をスピーディーに判断する人間の高度な決断力がこれまで以上に問われる。自社の持つ固有のデータと人間の創造性をいかに掛け合わせるかが、次世代マーケティングにおける競争優位の条件となる。

これからのマーケティングにおける、人間とAIの役割は
基調講演以降も、マーケティング領域別により実践的なセッションが展開され、AIを単なるツールからビジネス基盤へと引き上げる世界観が示された。
「Strategy keynote:AI/Agentic」のセッションではカシオ計算機の事例を通じて、既存の業務プロセスをそのままAIに置き換えるのではなく、顧客体験を中心に据えてプロセス自体を再設計し、AIを真の「チームメイト」として活用する変革の重要性が語られた。「Strategy keynote:Brand Visibility」では、ブランド好意度を最上位KPIに据えるKDDIの事例を交え、ユーザーがAIを通じてブランドと出会う時代にLLM最適化を通じて情報の正確性とブランドへの好意度をいかに制御していくかという新たな戦術が明かされた。
さらに「Strategy keynote:Customer Engagement」ではディップの「バイトルトーク」などの事例が紹介され、パーソナライズされたコミュニケーションをリアルタイムに自動制御することで、業務改善とプロダクトの価値向上を両立させるアプローチが示された。最後に「Strategy keynote:Content Supply Chain」においては、増大し続けるコンテンツ需要に対しAdobe GenStudioを用いてアイデア出しから承認、配信までの一貫性とスケールを担保する仕組みの構築方法が解説された。
これらのセッション全体を通じて一貫して強調されるのは、AIは人間の役割を代替するものではなく、またAI導入の成否はツールの優劣で決まるものでもなく、人間がいかに戦略的意図を持ちデータの標準化やプロセス変革に向き合うかにかかっているという事実である。データと統合型基盤を武器に、人間とAIが互いの強みを最大限に引き出す組織作りこそが、これからのマーケターに課せられた最大の使命といえるだろう。

