※本記事は、2018年7月25日刊行の定期誌『MarkeZine』31号に掲載したものです。
脇役ではない音楽の姿を求めて
音楽作家/プロデューサー 清川 進也氏
「拡張音楽」をコンセプトに音楽の新たな機能性を追求する音楽作家。環境音を楽曲として再構築する音楽技法(サンプリング)を得意とし自ら映像撮影と録音を同時に行いながら収録した環境音素材による音楽映像作品を多数発表。また音楽だけにとどまらず、映像・企画など様々なフィールドにおいても自己の表現を拡張しており、近年は地方創生における地域振興コンサルティングも積極的に行う中、「別府市・湯〜園地計画」では動画制作から実現イベントに至る全行程の総合監修を努めた。
――音楽作家になったきっかけと、「拡張音楽」の考え方について教えてもらえますか。
CMの音楽を作るところからキャリアを始めましたが、元々はバンドマンでした。CM音楽は、それまでやってきたバンドの音楽とは作曲方法も考え方も違っていて、バンドでは音楽自体が主役となる訳ですが、CM音楽はズバリ脇役です。映像やCMの企画があり、その企画演出をどう色付けして、より演出意図を深めるか。そういった役割が音楽にあるというのは、自分にとっては刺激的な発見でしたがその反面で、いろんなチームの一員としてCMに関わる中、音楽が脇役であることに多少の違和感も覚えるようになったんです。
そのうち、もっと音楽を目立たせた映像表現があってもよいのではと考えるようになりました。脇役としての楽しみ方は別として、もう少し音楽を主役にできるのではないかと。考えてみれば、映像で音が主役になるのは、とても限定的な企画の時です。たとえば映画でもミュージカルのように、メロディーの表現がないと成立しない部分では音が主役になれますが、状況が限定されます。
もっと音楽の考え方を拡張させ、全く違うフィールドで活かすことにより、音楽が軸となる表現の可能性があるのではないかと思うようになりました。音楽性が強くなるということは言語性が希薄になる、ということでもあります。つまり言語を超えた感覚的なコミュニケーションとして音楽はもっと機能して良い、と思うようになったんです。それまでは広告業界の中で音を駆使することで自分を主張してきましたが、今の領域からはみ出て、新しい音楽の居場所を作ろうと思い、活動を始めました。
――拡張とはどんな状態を指すのでしょうか。
シンプルに音楽を聴く、という楽しみ方の領域を超えて、なお表現の軸に音楽が残っている状態です。さらに、音楽の作り方や考え方を別のプロセスに移植することもぼくは拡張音楽だと思っています。
具体例としては、2016年に「おんせん県おおいた」の企画で作った二本の映像があります。一つはシンクロナイズドスイマーが温泉でパフォーマンスをする「シンフロ」。もう一つは大分県内の環境音を集めた「シンフロご当地サウンド編」です。
当初の映像演出では、温泉の中でシンクロをやる動画一本だけの予定でした。しかし、大分県からの「温泉以外の情報を映像に盛り込みたい」という要望があり、シンクロの映像に温泉以外の情報を入れてしまうと大切な世界観が壊れてしまうという問題が発生しました。そこで、温泉以外のPR要素を地域の音で表現するという案が採用になり、もう一つの映像ができました。
この時、地域ブランディングの問題解決策としての音楽のあり方に、拡張音楽の新しい機能性を感じました。クライアントが望むのは映像を何度も視聴してもらうこと。その中の音がなにか特別な意味を持つ音だとわかったら、もう一度聞きたいと思うかもしれません。その地域の音を使った映像には、新しいエピソードが生まれるきっかけを産み出す可能性があるものだと実感しました。
たくさんの映像が日々作られる中で、視聴者にとって“自分ごと”だと思えるエピソードを感じてもらうことで興味喚起に触れ、映像が機能していくのだと思います。音によってそれらを機能させるために、音楽の持つ根源的な機能を今までとは別のフィールドに利活用し、新しい化学反応を産み出すということは、ぼくにとってれっきとした拡張音楽のアウトプットの一つです。