コロナ禍で変わった行政や社会への期待
安成:先ほどのスマートシティの話は、イメージしやすいような気がします。企業である以上、営利を目的に動くのは当然としても、あまりにもデジタル接点で囲まれた中で利益追求だけで動かれてしまうと、私たちはいったいどうなるんだろうという不安もあります。
折しもこのコロナ禍で、生活者の側も行政や社会に対する期待が増したり、見る目も厳しくなっているのではと感じていますが、どうですか?
有園:おっしゃる通りですね。あらゆる手続きを電子化しているエストニアの電子政府は世界最先端の例ですが、それはさておいても、行政の手続きをめぐるニュースなどは本当に残念なものがけっこうあります。これを機にGaaS(Government as a Service)も進むといいですが、まだまだ難しそうですね。
でも確実に、今回のことで生活者のデジタルリテラシーとニーズは底上げされたと思います。“アフターデジタル”とは、リアルの世界もデジタルに包括される状態を指していますが、それは企業活動や生活者の消費活動だけに限った話ではないので、これからは企業ももっと社会におけるUXを考える必要があります。同時に、データを自社の営利目的ではなく生活者や社会に還元していく発想に切り替えないといけないと思います。
藤井さんとの対談でも少し触れましたが、2018年に「倫理」をテーマに行われたブリュッセルでのデータプライバシーの国際会議で、米Appleのティム・クックCEOは「What kind of world do we want to live in?」と問いかけました(参照)。「我々はどんな世界に住みたいか?」という話を真剣にしないといけないよね、と。データ活用の先に、果たして中国のような監視社会を望むのか。社会がそうなるかどうかは、企業の意識や活動にもかなり左右されてきます。

“データドリブン”という言葉は虚像だった
安成:そうですね。だから、Webやアプリのグロースハックの感覚でデジタル接点に囲まれた「生活」に向き合ってしまうと、危険だと。
有園:そうですね。それは、アフターデジタル時代にすべての企業経営者が意識すべきことだと思っています。もうひとつ意識というか、今このタイミングで知っていただきたいのは、「データドリブンは嘘」ということです。
データドリブンマーケティング、データドリブンエコノミーなどの言葉で、世の中はこれからデータドリブンで動いていくのだとデジタル側の業界が主張してきたのは、ある種の虚像であり扇動でした。効果が測れず数字で改善していけないマス広告に対して、CPAもCVRもすぐわかるネット広告は優れていますよ、という文脈をつくるために、業界が使わせていただいた言葉なんです。
……これ、すいません、お前が言うなよという読者の方のツッコミが聞こえてくるようですが。
安成:(笑)。ただ、デジタルの重要性を知ってもらって一定のデジタル化を進めるには、必要だった言葉だと思います。
有園:鋭い(笑)。先ほどの宣伝部長クラスの意識転換にも通じますが、もうデータの重要性や生活のデジタル化は皆わかってきた。だから今、「データは大事だけどそれだけじゃない」というフェーズになってきたとも言えます。
そもそも、1990年代からデジタル領域の発展を振り返ると、先に重視されていたのはデータドリブンではなくUXなんです。データを取れるのはユーザー数が増えるからで、データを元に改善すればまたユーザーが集まる流れに乗れます。ただ、ユーザーがいないとデータはゼロなので、先にあるべきは優れたUXによるユーザー獲得なんです。ここでどうユーザーを集めるかにはイノベーションが必要で、やはりそれを最初に実践してきたのがAppleやGoogleでした。
