この記事は、日本マーケティング学会発行の『マーケティングジャーナル』Vol.43, No.2の巻頭言を、加筆・修正したものです。
マーケティング研究で広く用いられるケース・スタディ
経営学やマーケティング論で論文を書く場合、しばしば、ケース・スタディ(事例研究、事例分析)という方法が用いられます。『マーケティングジャーナル』でもマーケティング・ケースが毎号掲載され、優れた企業のマーケティング実践が紹介されています。経済雑誌や新聞にも、様々なケースが毎日掲載されています。
とはいえ、学術の世界においてケース・スタディを用いた研究は、たとえば統計的な手法を用いた研究などと比べるとなかなか評価されにくく、権威ある雑誌には掲載されにくい印象があります。
『マーケティングジャーナル』Vol.43, No.2の特集論文は、このケース・スタディをリサーチの方法論として用いた論文を集めています。特に各論文では、経営学分野において長らく参照されてきたRobert K. Yinによる『ケース・スタディ・リサーチ』を用いていることが特徴です。
この本は、1984年に初版が刊行。2023年時点では、2018年の第6版『ケース・スタディ・リサーチとその適用』が最新です。日本では、1994年に刊行された第2版が1996年に翻訳され(『新装版 ケース・スタディの方法 第2版』)、広く参照されてきました。
ケース・スタディを研究に用いるために
Yin(2018)によれば、ケース・スタディとケース・スタディ・リサーチは異なっています。実は、私たちが普段見慣れているものの多くはケース・スタディであって、ケース・スタディ・リサーチではありません。
データの収集や妥当性、理論との整合性や独創性、それから字数制約と成果の公開可能性という現実的な点から見ても、ケース・スタディがリサーチであるためには多くの点を考慮する必要があるといいます。Yinは「リサーチによる探求は理路整然としたものであり、要件を満たした学問を必要とし、リサーチ手順の透明性を示さなければならない(Yin、2018、xxi)」としています。
もちろん、リサーチとして考えた場合、ケース・スタディが他の方法よりも難しいというわけではありません。むしろ他の方法と同様に、手続きがあるということです。ただし、ケース・スタディ・リサーチがより厄介であるといえるのは、こうした手続きが他の方法ほど定まってはいないということでもあります。
「ケース・スタディを行う研究者は、その研究が正確さ(つまり定量化)、客観性、そして厳密さが不十分であるため、その学問分野から逸脱したと見なされる(Yin、1994、邦訳1頁)」
Yinによる一連の研究は、こうした手続きを明示化し、透明性を高めることに貢献しています。第一に重要なことは、ケース・スタディを選択する理由であり、研究の目的です。Yin(2018)によれば、ケース・スタディとは実証的な方法であり、現代の現象(ケース)を深く掘り下げ、現実の文脈のなかで研究し、特に現象と文脈の間の境界が明確ではない場合に適しています。
ケース・スタディは多様であり、単一のケース・スタディや複数のケース・スタディ、定量的なエビデンスだけのケース・スタディ、さらには混合研究法(質的研究と量的研究を組み合わせて行う方法)の一部として用いられるケース・スタディもあります。