経済の金融化がマーケティングの本質を揺るがした
──MarkeZineが誕生した2006年から2026年現在まで、スマートフォンやSNSの普及によってブランドと消費者の権力構造は劇的に変化しました。この20年で最もマーケティングの本質を揺るがした変化とは、何だったと思われますか?
一般的には「デジタル化」や「AIの台頭」が最大の変動だと捉えられているでしょう。ミクロな視点で見ればそのとおりで、マーケティング手法がデジタル化し、SNSが登場したことは大きな変化です。しかし私はそれ以前に、より本質的で巨大なマクロの変動があると考えています。それが「経済の金融化」です。
経済の金融化とは、世界中に有り余っている膨大なマネー(資本市場)が、企業行動や経営判断、そしてマーケティングまでも実質的に支配するようになった現象を指します。これまでマーケターは、この資本市場の動きに対してあまりにも無関心だったのではないでしょうか。
──経済の金融化は、具体的にどのような影響を与えているのでしょうか。
近代マーケティングの提唱者であるコトラーが説くような、市場を分析してターゲットを絞り、売上やシェアを管理・最大化する「マネジリアルマーケティング」の基本構造は、デジタル化を経てもさほど変わっていません。しかし金融化の流れの中では、企業が最も心を砕くべき対象が「企業価値(株価や株主・資本市場からの評価)の増大」へとシフトしました。
たとえば、宇宙開発や通信インフラを手掛けるスペースXは、莫大な赤字を抱えながらも将来への高い成長期待から、近年稀に見る巨額の企業価値を評価されて上場しようとしています。つまり金融化社会においては、目先の売上や利益以上に「将来の収益見通し」や「将来のキャッシュフロー期待」が重視されるのです。
従来のマーケティングが追ってきた「市場シェアの獲得」や「今期の売上・利益」だけでは、現代の企業が求める企業価値の最大化に直接応えられなくなってきている。これこそが、マーケティングの本質を最も揺るがしている変化だと私は捉えています。
コトラー的手法に付される疑問符
──これまでのコトラー的な、緻密な市場分析に基づくマーケティング手法に対して、近年はどのような疑問や批判が起きていますか?
従来の、市場を3C分析で整理し、STPでターゲットと独自の立ち位置を決めて4Pの計画を立てる手順を、私は「構成的アプローチ」と呼んでいます。しかし現在、この構成的アプローチに対する疑問符が、主に3つの視点から突きつけられています。
1つ目は、クリステンセン教授が提唱した「イノベーションのジレンマ」です。従来のマーケティングは「収益性の高い優良顧客のニーズに応えよ」と説きます。しかし、その声に従いすぎると、安価で品質は劣るが利便性の高い製品を提供する競合の破壊的イノベーションに足元をすくわれ、企業は没落します。かつてコピー機市場の絶対的王者だったゼロックスが、安価な小型機を投入したキヤノンやリコーに市場を侵食された歴史がまさにそうです。
2つ目は「エフェクチュエーション」という起業家たちの思考プロセスです。優れた起業家は、市場を緻密に分析する構成的アプローチをほとんど実践していません。
たとえば、ヘアカット専門店の「QBハウス」は、創業者が「忙しいから、余計なサービスを省いて半分の時間でカットしてほしい」と床屋に頼んで拒否された自身の不満と経験から、新しいビジネスの着想を得ました。顧客分析やセグメンテーションから始めたわけではなく、自らの手元にある手段と不満から行動を開始した。これが起業家的な意思決定のリアルです。
3つ目は、データや事実に基づく「エビデンスベーストマーケティング」です。ダブルジョパティの法則に基づく理論で、市場シェアが低いブランドは、顧客のリピート率(ロイヤリティ)も低いという非情な現実を示しています。この理論が重視するのは、一部の優良顧客の囲い込みではなく、ライトユーザーを含めた“浸透率”の拡大です。コトラーの説く「差別化」や「ロイヤリティ向上」は、実際の購買データの前では機能していないことが多いと指摘されています。
このように、これまでのマーケティングの“当たり前”が、様々な方面から揺さぶられているのです。
