効率の追求だけじゃない、「選択肢を奪わない」視点を
白石:私がDE&I×コミュニケーションを軸にビジネスを始めたきっかけの1つとして、「デジタルの効率性だけを追いかけ続けると、忘れてしまう視点や取りこぼしてしまう人々がいる」という危機感がありました。アクセシビリティの専門家として、坂巻さんは現在DXやデジタル化についてどうお考えですか?

坂巻:まさに、その懸念には非常に共感します。一方で、効率を追求するだけでなく、「その人の快適さ」や「本当にこれでいいんだっけ」という発想で、適切なラインを探る流れが最近少しずつ生まれていると感じます。
SmartHRはオンラインで提供するサービスですから、私たちができることは限られてしまう部分もあります。しかし、デジタルを押し付けることで、現場の選択肢を奪うようなことはしたくないという思いがあります。ユーザー様から寄せられる「紙とデジタルを併用したい」という声にも、丁寧に耳を傾ける必要があると考えています。
企業の規模が大きくなり、労務管理部門と現場の距離が離れるほど、従業員1人ひとりの状況に関心を持つことが難しく、効率性を重視するあまり排除の構造が生まれやすくなります。だからこそ、ツールを作る私たちが「選択肢を奪わない」という視点を強く持っておく責任があると考えています。
付加価値か、権利か。「不便」を見つめ直す
坂巻:今、デジタル化の最大の弱みは「本人の操作が前提」というセキュリティの高さにあると感じます。ログインなどの認証のため、本人が酷く具合が悪いときに誰かに操作を頼みづらかったり、日本語での書類記入やスマートフォンのログイン自体が難しくても「本人が操作しなければならない」という壁が立ちはだかります。
アクセシビリティの問題はこのように、「アクセスがまったくできないマイナスの状態」から始まります。
たとえば、視覚障害のある方が自分の給与明細をシステム上で見られないケースです。仕方ないから誰かに中身を読んでもらうとしたら、給与明細の中身を知るというゴールは達成できていても、「知る権利」や個人情報の観点から見ると権利の侵害に当たります。果たして、課題は解消したと言えるでしょうか?
みんなが使えるようにするユニバーサルデザインや、特定の層が使いやすいインクルーシブデザインとの違いとしては、不便を解消する際に「権利が守られていること」を重視する。これが、アクセシビリティの本質的な要素だと考えています。
白石:お話を聞いていると、マーケティングで語られている「不便さ」の捉え方とは、少し異なる部分があると感じました。マーケティングにおいて不便を解消することは「付加価値」や「便益」というプラスにつながることが多いです。しかし、アクセシビリティの考え方では、スタートラインにすら立っていない状態を無くす、という視点に立っています。最も本質的な「権利」を獲得するという視点は、生活者に向き合うマーケターにも必要だと感じます。
今回の取り組みを踏まえて、社内を巻き込む立場でもある坂巻さんから見て、「マーケターやPRパーソンに、ぜひもう一歩考えてほしいポイント」があればぜひうかがいたいです。
坂巻:役割分担として仕方のない側面もありますが、マーケティングやPRの文脈では、どうしても「一番映えそうな要素だけが切り取られてしまう」という懸念を抱くことがあります。人の関心を引くための表現を完全に排除することはできませんが、それが「誰かの権利を侵害していないか」「誰かを不快にさせていないか」という視点を同時に持つことが大切です。
2022年にアクセシビリティに関する動画を制作したのですが、ディレクター陣とかなり議論を重ねました。「このシナリオは人気は出るけれど、当事者に近い方が見たらちょっと不快感を覚えるよね」といった落としどころを徹底的に検討したのです。結果として、その動画は企業のDE&I研修やセミナーで今なお使われ、SNSでも語られています。動画をきっかけに入社してくれる社員が増えるというポジティブな効果も生みました。
白石:この動画は多様性というテーマを表面的な話として終わらせず、本質を考える投げかけとして成功していますね。
以前、取材で「社会編集力」をテーマに扱ったことがありますが、「マーケティングや情報発信をしようとする際に、マジョリティ側の論理で社会を編集していないか?」という、問いを持つことの重要性について議論しました。改めてその問いの重要性を感じています。
多様性は、考え方、性格や信念など、目に見えない不可視の部分に最も重要な観点が含まれていると思います。表面的なカテゴリーだけで一括りにすることで、本質からかけ離れる結果になる場合も多いですよね。
坂巻:本当にそうですね。「外国人」や「若者」、「障害者」といった記号のカテゴリーでまとめてしまうのをやめて、いろいろな価値観や文化を持つ人が一緒に生きているという事実に対して、もっと想像力を持たなければいけないなと思います。
マーケターの皆さんが日々の業務の中で活用できる視点があるとすれば、自分の中の「ちょっとした違和感や不快感」を見逃さないことです。慣れてしまえば気にならない程度の不便さが、誰かにとっては完全にアクセスを遮断される「高い壁」になっている可能性があります。
自分の違和感をヒントに、「じゃあ、こういう状況にある人にとってはどうか?」「あの場面ではどう見えるか?」と、視点を多様に広げていくこと。この想像力を仕組みに落とし込んでいくことこそが、これからの時代に求められるアプローチなのではないかと思います。
白石:人事労務という社会のエッセンシャルな領域を担うSmartHRさんが、こうした強い信念と視点を持ってプロダクトを設計されていることは、これからの働く社会にとって非常に心強い存在だと感じます。本日は奥深いお話をありがとうございました。
坂巻:こちらこそ、ありがとうございました。
