ピックルボール産業の土台作りと価値の可視化を担う
──まずは、お二人の現在のご担当業務とミッションについて教えてください。
(写真右)株式会社電通 スポーツビジネスソリューション局 シニア・プロデューサー/プランナー 中司 雄基氏
熊倉:ピックルボールワンの代表取締役として、会社の経営全般を担っています。私たちの会社のビジョンは、「ピックルボール産業のEnablerになる」ことです。私たちが表に出なくとも、ピックルボールというスポーツが日本で発展していくプロセスにおいて、必要不可欠な土台となることをビジョンとして取り組んでいます。
私自身、以前からテニス関連のビジネスや普及活動に深く向き合ってきました。その中で、手軽さとコミュニティ創出力を併せ持つピックルボールの絶大なポテンシャルを確信し、この産業の立ち上げに全力を注ぐ決意をしました。
中司:私は電通のスポーツビジネスソリューション局で、2025年に立ち上がったピックルボールプロジェクトのソリューションプランナーを務めています。主な業務は、スポーツビジネス領域のコミュニケーション戦略立案や、スポンサーシップをはじめとする各種権利を活用したアクティベーションの企画・設計です。スポーツによる課題解決を軸に、新規事業開発やスポーツコンテンツの価値作りに取り組んでいます。
スポーツの価値は目に見えにくく、定量的な把握が難しい領域です。そこで社内ラボ「スポーツ未来研究所」で大学との共同研究を通じ、たとえばスタジアム観戦者の脳波や心拍を測定するなど、スポーツが心身に与える影響を可視化する取り組みを行ってきました。価値を定量化することで、心に残る観戦体験の設計や、企業がスポーツを活用したコミュニケーションを考える際の手がかりとしています。
コロナ禍を機に急拡大。日本社会との高い親和性と手軽さをもつ
──近年、海外で急拡大し、日本でも熱を帯びているピックルボールですが、そもそもなぜこれほどの広まりを見せているのでしょうか。
熊倉:ピックルボールは、1965年にアメリカで生まれたスポーツです。長らくはシニア層を中心に「老若男女が誰でも楽しめ、初対面の人とも気軽にプレーできるコミュニケーションツール」としてじわじわと成長していました。
しかし、コロナ禍が大きな転機となりました。テニスコートが空き、人々の交流が断絶される中で、「外で安全に、手軽にできるスポーツ」として注目されたのです。芸能人や若者がプレーする様子がSNSで一気に拡散され、かつてのシニアスポーツから「イケてるスポーツ」へとブランディングが劇的に変化し、爆発的な広がりを見せました。
──日本社会との相性はいかがでしょうか。企業での活用や、施設・年齢層といった面から教えてください。
熊倉:日本社会との相性は非常に良いと考えています。たとえば、企業においては「ゴルフの代替」としての活用が始まっています。ゴルフは半日ほど時間がかかりますが、ピックルボールなら1時間ほどのプレーで十分に親交を深められるため、接待や営業の機会として使いやすいのです。
また、ピックルボールは部活由来のスポーツではないため、誰でも「初めまして」の状態でスタートできます。経験によるレベル差がつきにくく、誰もが一緒に楽しめるため、コミュニティを生みやすいのが特徴です。アメリカには、パドル(ラケット)同士を軽く当てる「パドルタッチ」という文化があり、ハイタッチよりも気軽にコミュニケーションが取れます。少子高齢化や過疎化で交流が減少しがちな日本において、新たなコミュニティを作るツールとして非常に適していると思います。
──施設などのハード面において、日本で普及させる上での課題はありますか。
熊倉:海外での流行を後押しした要素の一つがテニスコートを流用できる点ですが、ピックルボールに適しているのはボールが弾みやすいハードコート。日本はオムニコート(人工芝)が主流のため、専用コートの整備が少し遅れているのが現状です。
ただ、それでもピックルボールは他のスポーツに比べて圧倒的に手軽です。公園にネットを置いたり、オフィスの空きスペースに簡易コートを作ったりと、専用の設備がなくても工夫次第でどこでも楽しめます。その手軽さは、今後の大きな広がりを後押しするはずです。
