ジョブズ氏に熱烈オファーを受けた山元氏の決断
冒頭、山元氏は本セッションのテーマを“前進”としつつも、「実は、私が人生の中で一番“停滞”を感じていた会社がAppleなんです」と赤裸々に切り出した。
1976年に設立され、2026年に50周年を迎えたApple。今では知らない者のいない世界的企業だが、そこまでの道のりは前途多難なものだった。山元氏は日本オラクルで取締役専務執行役員を務めていたころにジョブズ氏と出会ったが、思わず「Appleってまだ生きているの?」と率直に伝えてしまったそう。それほどAppleは日本で厳しい状況に置かれていたのだ。
「当時、私はオラクルで1,600人ものメンバーを抱え、順風満帆の日々。そんななかスティーブから社長就任の熱烈オファーを受け、かなり葛藤しましたね。当時のアップル・ジャパンはほとんどの社長が2年も待たずに交代している状況でしたから。彼からは『お客さんも販売店も元気がない。賢治の力で元気にしてくれないか』と頼まれました」(山元氏)
決め手となったのは「賢治、Appleは絶対に復活する」というジョブズ氏からの力強い言葉だった。「Appleに関わる人々を元気にできたなら、スティーブの夢を叶えられるかもしれない」と思い立ち、山元氏は2004年アップル・ジャパンの代表取締役社長に就任した。
変革を繰り返したAppleが、iPhone発売に至るまで
少し時をさかのぼり、アメリカでのAppleの歴史を見ていこう。
Appleは1980年代、IBMと激しい対立関係にあり、日本IBMで勤めていた経験もある山元氏は当時「厄介な会社」と認識していたそう。Appleが発売したコンピューター「マッキントッシュ」の売上は伸び悩み、1985年、ジョブズ氏は自身が創業したAppleから追放されることになる。
その後、1997年にジョブズ氏は赤字続きのAppleへ電撃復帰を果たす。その際に発信したメッセージが「Think different.」。既存の常識にとらわれず、世界を変革させようとする強いメッセージ性には、山元氏自身も何度も勇気づけられてきたそうだ。
Appleが大きく変わり始めたのは、かの同時多発テロ事件のあった2001年。「沈み込む人々を元気にしたい」という思いのもと、同社初の携帯音楽プレイヤー「iPod」を発売する。当時音楽はインターネットで購入できず、MacでCDから楽曲をダウンロードする必要があった。しかし、「音楽を持ち歩く」という概念は紛れもなく革新的なものだったという。
そこからAppleをさらなる高みへ押し上げたのは、顧客の声だった。「CDのジャケットをiPodで表示できたらいいのに」「静止画の次は動画が見たい」「今度はゲームも楽しみたい」……。多くの率直な意見により、iPodシリーズは音楽を持ち歩くだけのツールから、少しずつ姿を変えていく。Appleはコンピューターを製造・販売する会社から、デジタルコンテンツを提供する会社としても進化し始めたのである。
その後、2007年にはiPhoneが誕生。iPhone発売時にはアメリカンフットボールのプロリーグ優勝決定戦「スーパーボウル」でテレビCMを放映しており、当時の力の入れようがうかがえる。日本ではアメリカのあとを追う形で、翌2008年からiPhoneが発売された。
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